朝、まだ暗いうちに起きて、台所の豆明かりの下で神様に祈りをささげていました。窓の外に目をやると、農家が多く見晴らしのいい一帯に、うっすらとオレンジ色の朝日の光が滲み始めておりました。
時代に、闇が迫っております。悪魔はその存在を明らかにしているかのように、愛は冷え、孤独に震える魂は多く、疫病もはやり、戦争のざわめきも聞こえてきます。真偽も不確かな情報が世界に降り注いで人の心を惑わします。見えない炎は次から次へと猛威を振るって、地上に落ちていくようでした。
終末の時に向かって、世界をのしのしと縦横無尽に歩く悪魔の足跡が日ごとに大きくなって、刻まれてゆくのが見えるようでありました。貧困も、病も、迫害も、多くの人にとって身に迫るものでありましょう。もちろん私もその類に漏れません。しかし、この暗い夜に朝日が昇るように、十字架は今日も世界にその旗印を明らかにしているのです。
私は祈りを旋律に代え、エレクトーンをカタカタと奏で始めました。唇から歌がほとばしります。
♪この世は たしかに まばゆさばかりは 見えない
けれど あなたが 求めれば 光を見てもいい
抱かれるわ 神がいるから
その優しさに 泣いて 泣いて
暗やみに 一人いただけの分 泣いていいの
神は 慰めてくださるわ
闇の恐ろしさを 人の恐ろしさを 知ってもいい
たくさん知ってしまったって いいの
しかし そこにとどまるか
光を求めるか あなたが決めるのよ
あなたの手が 選んでいい
どうか世界に生まれて いつか神のもとへ帰る日まで
たくさんの祝福があるように あるように・・・♪
ヘッドホンを外して振り向くと、夫がうれしそうな顔をして立っていました。「おはよう」。そしていつものように、簡単な朝食を口にして夫を送り出しました。
私たちの命ははかないものです。「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは・・・しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない」(ヤコブ4:14)と言われている通りです。私は10代のとても幼い頃から強い薬を飲み続けてきました。そのような人たちの寿命は短いともいわれています。内臓は老人のように弱っており、風邪もひきやすく、ちょっとした菌にすぐに感染して熱を出すことも少なくはありません。
「できることなら、夫のために長く生きたい」。そのような願いを持つまでに至りましたが、死を望むばかりの人生でしたから、自分の体をいたわるすべも知らずにきました。
誰もが、いつ神様のもとに引き上げられてもよいという思いで生きられたら幸いですが、こんな私でも「守りたいもの」が増えてきました。願わくば、守るべき者たちをしっかりと守って、この命の終わりを迎えたいと願うほどになりました。
今日も計ってみると、体温は高めです。微熱を出しやすくなったのは20代後半の頃からでありました。いつもベッドに横たわっていることが多い私です。熱が出ても気楽なものです。「寝ている言い訳がたつものだわ」とより堂々とお布団にもぐることができるのですから。
ふわっとミルラの香りが漂い、イエス様の存在を近く感じて胸がときめくようでした。イエス様の心臓の音が聞こえるほどです。次第にその鼓動は、時計が秒針を刻む音と一つになり、みるみると私の目の前にすみれ色をしたすみれ時計が現れていったのです。イエス様の鼓動の中に、私たちは生かされている――そんな思いが胸に迫り、胸は甘い蜜で満たされていくかのようでした。針は鼓動とともにさかのぼり、イエス様の愛と心が一つに溶け合っていった日々へと帰ってゆくのです。
*
私は必死で、聖書を知ろうとしておりました。インターネットで高名な先生たちのメッセージを日がな一日聞きながら、聖書をめくっておりました。聖書を教えてくれる、画面の向こうの先生たちは、私の人生で出会うことのなかったバランスが取れ、成熟した大人ばかりでありました。そのまなざしは、イエス様をほうふつとさせるように慈しみにあふれ、会ったことなどない私のことまで愛し、祈ってくださっているように思えました。惜しみなく、聖書を丁寧に始めから教えてくださいました。そして、人生を生きる知恵も同時に教えてくださる先生方を、私は血のつながりがあるように近しく思ったものでした。
「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか。・・・天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」(マタイ12:48~)とイエス様が言われたように、私はイエス様を愛してこのような働きをする先生方を、兄のように、父のように思ったものでした。
「それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず・・・ただ神によって生まれたのである」(ヨハネ1:13)。そのように、神によって生まれた先生方の教えは知恵と訓戒と愛にあふれており、こんなにひねくれた病人で、寝てばかりいる無用な者のような私にさえ、「あなたは神様に呼ばれている、尊い存在であるのだ」と、まるで兄や父のように語りかけてくださったのです。私は1時間近いメッセージを、1日に10本も15本も夢中で聞いたものでした。
イエス様が天に昇られて2千年以上がたった今まで、聖書の教えは「その一点一画も崩れることがないだろう」と言われた通り、脈々と受け継がれてゆきました。教えが堕落し、腐敗しそうになろうとも、神の民たちは血を流し、命を落としてでも聖書のみ教えを守り抜きました。そこには並々ならぬ神様の守りがあったことでしょう。聖書を抱いて、荒野を歩いた先人たちのわだちが、長い歴史の中に見えるようでありました。私もそのわだちのあとを行きたいと望みました。そのわだちをさかのぼると、イエス様のわだちが刻まれていることでしょう。
ナザレの会堂で、イエス様が預言者イザヤの書を読まれました。「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである」と。そして「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」(ルカ4:17~)と宣言されたときから続く、イエス様のわだちへと・・・。
聖書――それはこの世界の唯一の答えでありました。神などなく、万物は無からビッグバンで生じたと教わってきました。私たちはサルから進化した人間であり、やがて土に帰るばかりの命だと教わってきました。しかし、どんなにそう教え込まれても、空が、雲が、風が、花が、木々が、土たちが、神様はいると教えてくれておりました。そんな神様を信じて、真理を探してきました。今、すべての世界の神秘、謎の扉が開かれました。その本は聖書であり、その本を解く鍵は十字架の形をしていたのです。
「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」(マタイ9:2)。イエス様が私をもそのように励ましてくださるようでした。そして、中風の者が床を取り上げて家に帰ったように、私も立ち上がる力を与えられた気がしました。
私は主治医と約束しておきながら結局行くことのなかった、病院の作業療法に通い始めたのです。そして「少しでも働けるようになりたい」そんな夢を持つようになりました。母親はそんな私の夢を聞いて、それは喜んで病院へと送り迎えをしてくれました。私は体操のクラスとお花のクラス、週に2度の作業療法に通い始めたのです。
40分のクラスは体力的にとても厳しいものでした。何人もの知らない人に囲まれて、あいさつや会話もしなければなりません。その上、40分の体操やお花のアレンジメントに挑戦するのです。アレンジメントでは、お互いの作品を評価し合います。家族以外との交流のなかった私にとって、背中を汗でびっしょりにしながら言葉を選び、へとへとになって帰ったものでした。
しかしそんな私でも、3カ月がたつ頃には、同じ利用者さんや作業療法士さんとも話ができるようになっていたのです。
「あなたもクリスチャンなのですか?」いつも十字架のネックレスをかけている作業療法士さんに、私はそう聞きました。「ということは・・・キミもかい!?」驚いて満面の笑みでほほ笑んだ作業療法士さん、この人が夫になる日が来ようとは、この時は思いもよらぬこと、そしてまだ先のお話です。
私は作業療法を通して、人と話すことにも自信を持ち始め、ある日、近所のクッキー屋さんに、週に2度、4時間のアルバイトを申し込みに行ったのです。自分でも信じがたいことでした。面接では、今まで学校も出ず、働きもせずにきたことを話さなければなりません。そんな勇気は、私には永遠に持てないだろうと思ってきました。しかし、今の私は違いました。私はしっかり「病気で働けなかったこと」「回復してきたため無理のない範囲で働きたいこと」を伝えることができました。
だって私は何も恥ずかしい存在ではありません。何を怯えることがありましょう。神様が知っていてくださるのです、私なりに頑張って生きてきたことを。そして「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛する」(イザヤ43:4)そのように語りかけてくださる神様の守りがあるからこそ、部屋の外の世界への恐怖も少しずつ乗り越えていったのです。(つづく)
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ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。