今週も主の日がやってまいりました。私たちにとっては大わらわの礼拝の日。いつものように寝間着でだらだらと過ごすわけにはいかないのです。1週間で唯一、朝から顔を洗って髪を編み、きちんとした洋服に着替え、朝から大忙しなのですから。夫はスーツに着替えています。仕事にさえ作業着で行く夫が、ネクタイをキュッと締めて、主の前に出る準備をしておりました。
「大丈夫かい、疲れてしまうだろうから、今日もすぐに帰ろうね」。夫は心配そうに私の顔をのぞき込みます。確かに体力的には一番厳しい日でありました。それでも1週間に1度の主日があるから、ずっと着ていなかったワンピースにも袖を通せますし、化粧の仕方も忘れずに済みます。日曜日は礼拝に行くことで精いっぱい。家事や料理どころではありません。夫もよく分かっており、昼も夜もインスタント料理で辛抱してくれるのです。
たくさんの人の集まる教会に行く・・・。明るい所や人ごみの苦手な私には、大きなチャレンジでした。それでも、主にある兄弟姉妹や牧師先生と顔を合わせられるのは、うれしいことでありました。
きょうだいたちと顔を合わせるだけで、主にあって天に国籍を持つきょうだい同士、寄留地である悪魔の支配するこの地において1週間生き抜いたことを確認し合い、お互いの無事を祝い、慰め合うことができました。
共に祈り、聖書のみ言葉で励まし合って、炎の中に投げ込まれたかのようなこの厳しい時代に立ち続けていられます。それぞれが、環境や状況、立場は違えども、人生という戦いの中にあることは同じでした。
鏡を見つめ、まぶたに薄い化粧を施していると、みるみると鏡はすみれ色のすみれ時計に代わってゆき、その針はぐるぐるとさかのぼり、「教会なんていやよ」そうぐずっていた私の言葉が時計の中から響きました。
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「教会なんていやよ。私は一人で信仰していればいいのだから」。今の夫である当時の友達、私の通う作業療法の作業療法士である彼からのメールに、私はそう返していました。
「教会生活というのは、クリスチャンにとって大きな祝福なんだよ」。彼はそのように返してきましたが、私はポイっと携帯を投げ出し、ベッドに突っ伏しました。彼は自分の通う教会に、私を誘ってきりがないのです。「嫌だっていうのに、懲りないわね」
私はへきえきとしていました。「世界中に教会は無数にあるけれど、聖書にある初代教会のように、本当に主のみ教えが生きている教会などないでしょう。そんな教会が世界中にあって、‘本当の’ クリスチャンというものが世界的にもこれほどにいるのならば、世界はこのように暗くはないはずなのだから。教会に行ったところで、その腐敗にきっと私は落胆することでしょう」
心はむかむかとし、投げ出したばかりの携帯を拾い上げ、「無教会派でけっこうなの!」と送り付けてやりました。
聖書には兄弟姉妹が集い合うこと、そして学び合い、重荷を負い合い、一つの体として補い合うことがみ教えとして記されております。それでも私は、実際に教会というものに行って、期待をしてがっかりしたくなかったのです。教会が聖書のみ教えに立ち、一つの体のようにお互いを補い合って愛し合うには、この時代はあまりに暗く、格差も深刻であり、罪に病み切っているのですから。
初代教会の時代であっても、暗く、迫害は激しく、身分の差も深刻であり、罪に病んでいたことでしょう。しかし、イエス様と歩んだ使徒たち、見た者たちと共にあり、聖霊様も激しく聖徒たちに注ぎ込まれていたことでしょう。
私はうんざりとした気持ちを洗い流すためにも、お風呂場に向かっておりました。体はひどく疲れていました。それでも何とか体を引きずって、浴室に行ったのです。
今日はクッキー屋さんのアルバイトがありました。そこの主人は、ちょっとのミスで驚くほどに激高して私の心を追い詰めました。かと思うと、最近はやりの宗教を心から信じていると言い、仕事が終わった後でロッカーに来て、私の疲れをとってやると、「神癒」という技を私に施していたのです。その技は、「神よ」「神よ」と涙を絞って祈りながら、私の体に触れて肩の凝りをほぐしたり、背中の筋肉をほぐす、不思議なマッサージでありました。
時にその手が服の中にも入ってくるので、私はハラハラとしながらその「神癒」の技を受けていたのです。「神よ・・・」。天を仰いで一生懸命に祈りながら技を施す主人に、「やめてくれ」とは言えませんでした。しかし日増しに、それが心のひどい疲れとなっていました。
私はある日、待ち合わせていた夜の公園で、そのことを彼に打ち明けました。すると彼は目を丸めて驚いて、食べていたチョコレート菓子を落としました。
「キミ、そこはやめたほうがいいよ。それは、セクハラだよ」。私は何を言っているんだ、この人はと思いました。「だって、『神よ・・・』って祈っているのよ。それは心から祈っているのよ」。「とにかくすぐにやめるんだ。とにかくもう行くんじゃないよ」。彼はその一点張りでした。
「そうは言っても、いきなり辞めたら迷惑をかけるわ。せっかく働いたのにお給料日もまだだし・・・」。そう言ってらちが明かない私に、彼は業を煮やしたのでしょうか、「僕がそのお給料分を君にあげれば行くのをやめてくれるかい?」とまで言うのですから。「何を言うの?」私は顔をしかめました。「そんな関係のない人からお金をもらうわけにいかないでしょう?」
「それなら、僕と結婚するかい?」私はびっくりして、舐めていたソフトクリームを落としました。驚いて、彼の顔をまじまじと見ると、彼のまなざしはとても真剣でありました。私はうつむき、首を振りました。「・・・僕じゃダメなんだね」。悲しそうに彼はそうつぶやきました。私はまた首を振りました。
背中の向こうに炎がめらめらと燃えていることを感じていました。炎は少しずつ大きくなり、いつか来たるこの世界の終末が一歩一歩近づいていることを教えるようです。それでも、このような夕暮れに男性とアイスやチョコを食べていることを、ふとほほえましく思っていました。
私は恋愛感情というものがよく分かりません。異性に興味を持ったことがないのです。自分に共感してくれる優しい女性にだったら、抱き着きたいような気持ちにもなってきたかもしれません。しかし異性に至っては触れ合うなんておぞましいほどに思っていました。
彼はそう打ち明けると、とても明るい顔になって、「それは君の心が幼子のように純粋だからではないかな」と。自分をけなすばかりの人生でしたから、そんなふうに褒められて、花びらが開くようにほほは赤く染まりました。彼は落としたチョコレート菓子を拾って、砂を払って口に放り込みました。「幼子のようになりなさいと、イエス様も言っているじゃないか。天の国にふさわしい、僕には君はそんな人に思えるな。だから、やっぱり君と共に歩んでみたいな」
この人は、とても人がいいのだ、と思いました。作業療法士でありますから、私がどんな病気を持っていて、どんなに日常生活にも困難があるか、それなりに分かっているはずでした。それでもこんなことを言うなんて、なんて人がいいのだろう、と私が心配になるほどでした。
その夜、机の上で頬を両手で抱えながら、今日のやりとりを思い出していました。自立したいというか、このままではいけないという思いは強く持っていましたが、結婚など、考えたこともありませんでした。しかし、彼のことがちょっとは気がかりでありました。
「こんな私と結婚したいだなんて、そんなお人よしが一人で生きていけるのかしら」。(守ってあげなきゃいけないんじゃないかしら)そんな気持ちが生まれたのです。こんなふうに実家で生活し、何もかも人の世話になってばかりの私が、人を心配したり、守るだなんて、ちょっと、いいえかなり傲慢(ごうまん)かもしれません。それでも、そんなふうに思ったのです。
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そんな頃をすみれ時計の中から見つめていました。
すると「早く!遅れちゃうよ!」と遠くから声がしました。私はその声のほうに振り向きました。するとすみれ時計は消えていて、私は化粧の途中で、鏡の前におりました。
赤いじゅうたんの敷き詰められた教会の階段を上ると、2階の礼拝堂から荘厳なオルガンの調べが聞こえてきます。礼拝堂に入ると、バッハのオルガンを静まりの時の曲として、皆が手を組み祈っております。私が入ってきたことに気付くと、明るい笑顔を見せて手を振ってくれる姉妹たちもおりました。私も笑顔で手を振り返し、いつもの席に座り荷物を置くと、手を組みバッハのオルガンの調べの中で、祈りの中に入ってゆきました。(つづく)
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ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。