礼拝のある日曜の夜は、疲れもひとしおでありました。教会にはさまざまな奉仕がありましたが、私にできる唯一の、そして最も尊いと信じている奉仕は、礼拝に参加することだけでした。
人間同士の集まりです。意見の食い違いや誤解、すれ違いで傷つくこともありました。それであっても教会は、神様に呼び集められた者の集いであり、一つの体、そしてイエス様の体であるといわれています。
1人のつまずきは全体の悲しみであり、1人の病は全体の痛みというほどです。私も弱い者でありましたが、強いところもあります。弱いだけの者などおらず、誰もが強さも弱さも持った人間です。お互いの欠けを補い合い、かばい合い、愛の足りない者しかおらず、つぎはぎだらけであろうとも、教会は今日も立ってイエス・キリストの来られたことを証ししておりました。
聖書の時代から、教会は問題だらけで不完全なものでした。それはそうでありましょう・・・人間がこれほどまでに不完全であるのですから。その不完全な人間に、聖霊様が宿ってくださり、聖霊様がそんな不完全な者たちの苦しみ、うめきを聞きつけて、私たちをつなぎとめ、守り合うよう、とりなしていてくださいました。
今は闇も深まり、悪魔の働きのさかんな時代。そのような時を、神の民たちは己の中の聖霊の炎が消えないように身をかがめて守りながら、支え合うことでなんとか立って、寄留地であるこの暗い地を共に歩んでおりました。
いつの時代もそうであったかもしれません。「しかりわたしはすぐに来る」。イエス様の言葉を胸に「主イエスよ、きたりませ」(黙示録22:20)と胸を絞ってうめきながら歩む者たちをきょうだいとしながら、共に主の名を呼んでいたのです。
「主よ、きたりませ」。それは切なるうめきでした。主の麗しさ、まぶしさ、栄光がこの地を照らす時を待ち望むこと以外に、この世界に希望などあるでしょうか。私の命にそれ以外の希望があるでしょうか。主がやがて来られ、あまりにもまばゆい世界で、主と共に永遠に生きる日を夢に見ながら、歯を食いしばっているようです。
完全なる愛を知った今、この世界はいっそう闇の色を深め、輝きを失いました。ただ、主だけが輝いているのです。本当の光、そのまばゆさを知るということは、闇の深みを知ることでもありました。
私は、あの練炭自殺未遂の日、主の言葉によって死を免れました。私はあの日に一度死んだのだと思ってきました。そして、そのあとの人生は、主に与えられ、主に生かされた故に、すべて主にささげるべき人生でしかありませんでした。
すみれ時計がみるみるとその姿を現して、時計の針をさかのぼらせます。「主よ、私がご入り用でしょうか」。私の祈りが聞こえてきます。「主よ、ご入り用ならば、私はゆきます」。その祈りの果てで、私は結婚を決意したのです。
*
「私、結婚するわ」。そう親に伝えたとき、親は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、「また病気がひどくなったのか」と不安げに顔を見合わせておりました。彼がわが家にあいさつに来る日、親は彼の姿を見るまでは、私の思い込みなのではとハラハラしていたことでしょう。
私は彼の求婚を受け入れました。恋愛感情というものすら分からない、彼に言わせてみれば「幼い」私でありましたが、彼に己をささげることが、主に自分をおささげすることになり得ると思ったのです。彼と結婚することが、主の栄光を表すことであると思った以上、自分の「好き」や「きらい」など、どうでもよいことに思えました。
もちろん彼は、このように病者の私に求婚するほどのお人よしで、信仰深くて優しい、私にはもったいないほどの人でした。
結婚をも神様に預け、ささげる決断ができたことは、私の誇りとなりました。いつか、自分が恋愛感情というものの芽生えを迎え、「好き」と思える人が出てくるかもしれないという淡い期待もありました。しかし、イエス様が己をむなしくしてこの地に来られたように、私も己をむなしくして神様にこの身をおささげする、‘神様との結婚’ のようだと思いました。
私は彼に連れ立って、あれほど嫌だと言っていた彼の通う教会にあいさつに行くこととなりました。教会に行ったところで、聖書にある教会と現代の教会はかけ離れ、腐敗や教理の堕落にあふれているのだ、だから教会に行ってがっかりしたくはない。そう言って ‘無教会派’ を宣言していた私でしたが、本当は怖かったのです。立派な社会人の人たちに囲まれて、自分を恥ずかしく思うことが。
しかし、彼の通っている教会には、若い人もいれば老いた人もおり、貧しい人もいれば豊かな人も、健康な人もいれば病人もおりました。強い性格の持ち主もおれば、控えめな人もおり、皆がそれぞれに違った個性を神様から授けられ、それを自分なりに管理していたのです。
私の欠けも、教会の人たちは温かく受け入れてくれました。「これからは一つの体なんだから」。牧師夫人はそう言って、肩を抱いてくれました。
私は結婚のためのあいさつまわりや、結婚式の話し合いや準備で慌ただしい日々を過ごすこととなりました。疲れた体で家に帰ると、自室のドアを閉め、この小さな宇宙を見つめました。
1人でいたから守れてきた、私の世界。結婚すると、この強固な小さな宇宙は薄らぎ、姿を消してしまうかもしれません。だって、これからは1人ではなく、2人で一体という新しい命の生活が始まるというのですから。
私は名残惜しくエレクトーンのふたを開け、鍵盤をたたいて泣きました。窓の向こうには大好きな団地群が見えました。一棟一棟が孤独な巨人、私の愛する友達です。
瞳のような窓をいろいろな色の明かりでともした団地群に語りかけました。団地群は「一緒に逃げよう」そう言ってくれているようでした。まるで、団地が巨大な宇宙船のように火を噴いて、私を乗せて、この争いやまぬ地を離れ、遠い宇宙のかなたへと飛び立ってくれる、そんな夢想をしていました。
そんな私に、神様は一つの景色を見せてくださいました。父祖アブラハムが育った地を離れ、血筋の者たちからも離れ、ただ神様の声に従って、見たこともない新しい地へと旅立った歩みを・・・。アブラハムも神様のお約束だけを胸に、前を向いて一歩一歩、勇気を振り絞って歩こうとしたのかもしれません。神様が行けと言う土地に、私もぐずってばかりおらずに歩まなければと思ったものです。
*
すみれ時計の中から、そんな私の小さな部屋とのお別れの情景を見つめておりました。気付けば、私は揺り椅子の上に座っておりました。誰かが椅子を大きく揺らしています。まるでブランコを押してくれているように、夫が私の揺り椅子を揺らしていたのです。
振り向いてほほ笑むと、夫は「今日も教会で、神様への礼拝を頑張りました」と褒めてくれました。「はい。今日も一生懸命頑張りました」。そう幼子の口調で私が言うと、彼は父親のように私を見つめ、肩をもんでくれたのです。
結婚によって失ったものも、なかったとは言えません。しかし与えられたものも、それは多くあったのです。
私は夫が寝静まったのを見計らうと、ダウンを羽織って忍ぶように外へ出て行きました。新しく引っ越してきたこの街にも、団地群がありました。農地をしばらく歩くと、巨大な団地群が見えてきます。水色や黄なり色があせているのが悲し気な、私の新しい友達です。団地群の中央にたたずんで、団地たちと交信するのです。「センソウが終わりますように」。団地たちも応えてくれます。「センソウが終わりますように」
私が願い続けた ‘センソウ’ の終わり、それはイエス様の来られる日、人類の歴史の終わりでしかありませんでした。この罪を繰り返さざるを得ない者たちの悲しく暗い歩みが神様の光の下に照らされる救いの日を、待ちわびていたのです。(つづく)
◇
ところざきりょうこ
1978年生まれ。千葉県在住。2013年、日本ホーリネス教団の教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、千葉県に移住し、東埼玉バプテスト教会の母教会である我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫4匹と共に暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「ところざきりょうこ 祈りの部屋」「ところざきりょうこ 涙の粒とイエスさま」。※旧姓さとうから、結婚後の姓ところざきに変更いたしました。