米テキサス州にあるメガチャーチ(大型教会)でヤングアダルト(若年成人)を担当する牧師が、聖書は女性に対して差別的だとする見解を批判し、聖書的な女性理解は、現代の一般的な文化よりも優れていると語った。
米テキサス州ダラスにあるメガチャーチ「ウォーターマーク・コミュニティー教会」(英語)のデービッド・マービン牧師は最近、現代文化の中で広く議論されているテーマを取り上げる説教シリーズの一環として、聖書が性差別的かどうかについて語った。
マービン牧師は、同教会が主宰し、世界で最も大きなヤングアダルト向けミニストリーの一つとされる「ザ・ポーチ」(英語)で、新約聖書のペトロの手紙一3章7節に注目して説教を行った。使徒ペトロはこの箇所で、女性(妻)は男性(夫)よりも「弱い」存在だと記している。
同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。(1ペトロ3:7)
マービン牧師は説教(英語)で、「弱い」という言葉は、ヘブライ語で「繊細な」あるいは「穏やかな、洗練された、優しい」という意味に訳すことができると説明。そのため、この聖句は、女性を男性よりも重要でないとしたり、女性の力が男性よりも弱いというレッテルを貼ったりしているわけではないとした。
しかし、この聖句を読む多くの人々が今日、聖書は性差別的だと結論付けてしまっている、とマービン牧師は指摘する。
「(ペトロは)夫たちに向けて語っていますが、人々は『ふむ、(妻を)弱いパートナーだと書いてある。なるほど、聖書は性差別的だ』と考えてしまうのです」
しかしそうではなく、この聖句は、妻を夫の「所有物」と考えていた古代ユダヤ社会の女性観とは対照的なものだと、マービン牧師は言う。
「(ペトロは)人の気持ちや、その人が何者であるかを思いやって生きてほしい、と述べているのです」。マービン牧師はそう言い、この聖句は男性に対し、「敬意をもって」女性を扱うよう求めているのだと語った。
「これ(男女の違い)は(人の)価値とは関係ありません。人はすぐに価値に走ります。『私が弱い、劣っていると言うのですか』と。いいえ、そうではありません。より繊細な存在だからといって、価値が劣るということはありません」
マービン牧師は、水筒と携帯電話を例えとして出し、携帯電話は水筒よりも壊れやすいが(繊細だが)、明らかに高価であることを指摘した。
マービン牧師は、この聖句の最後の部分は男性に対する警告だと強調。女性を不当に扱うことは、霊的な結果につながるとし、「(女性を)優しく扱うべきなのです」と語った。
「ペトロは夫に対し、妻に仕え、妻を守るために自分の力を使い、妻のために死ぬことさえいとうなと言っているのです。そして、もしそうしないなら、あなたの祈りは妨げられるだろう、と述べています。神の娘(である妻・女性)を大切に扱わなければ、神は耳を傾けてくれなくなるのです」
マービン牧師はまた、ガラテヤの信徒への手紙3章26~28節を引用し、全てのクリスチャンがキリストのうちに持つべき一致についても語った。
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。(ガラテヤ3:26~28)
「この聖句は、男性と女性は完全に平等であるということを明確に示しています」とマービン牧師。使徒パウロはこの箇所で、「今、全ての人は、何よりもまずキリストによって定義される」と語っているのだと伝えた。