私たちは生活の便利な定住地を求めていますが、一方で、自然豊かな故郷も求めています。都心在住の方に「故郷はどちらですか」と聞くと、「ここが故郷なんですよ」と¬寂しげに答えられます。故郷というと、水がきれいで草花や木々が多い自然豊かな環境を想像するからです。
聖書の言う故郷は、神の用意したパラダイスを意味します。環境が良いだけでなく、キリストが統治する、永遠に続く美と健康の理想郷なのです。
1. 旅人で寄留者
これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。(ヘブル11:13)
ノアやアブラハム、サラ、イサク、ヤコブという聖書の信仰者たちは、神の用意した都を手に入れることなく死にましたが、約束のものを手に入れる信仰の希望によって喜びをもって、地上では旅人であり寄留者だと告白しました。
ノアと息子のセム、ハム、ヤペテ、その妻たちの8人だけが、信仰で100年かけて造った箱舟に入りました。新しい地で新しい故郷を建設するのだと、ノアたちは信仰で考えていました。
75歳のアブラハムは、神の素晴らしい約束を信じ、安定した生活と相続財産という生まれ故郷を捨てて、妻サラたちと知らない土地へ出て行きました。移動生活はいろいろと不便で心細かったのですが、約束の地を得て数多くの国民の父になるとの神の約束に信仰の希望を持ち、他国の地で寄留者として生活しました。
私たち信仰者も、地上では旅人で寄留者だと告白しつつ、約束のものを手に入れるために、生活の安定よりも神と共に生きる喜びを選ぶのです。
2. 自分の故郷
彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。(11:14、15)
アブラハム、イサク、ヤコブは、天にある自分の故郷を求め、地上では天幕生活の旅人、寄留者として生活しました。
約束の故郷を求めても手に入らなければ、生まれ故郷の方が良いと思い、帰る機会はあったはずです。しかし聖書の信仰者たちは、神から約束されたものを求め続け、生まれ故郷に固執することはありませんでした。
神が私たちに求めている信仰者の基準は、アブラハムの信仰に学ぶことができます。地上の故郷を追及することをやめ、神から与えられる自分の故郷を追及するということです。「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3:20)
3. 天の故郷
しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(11:16)
人間の支配する地上の故郷とは別に、さらに優れた神の統治する天の故郷があると信じることが、聖書の福音信仰です。地上では旅人で寄留者だと告白することは、地上での住環境や自己実現を追求せず、天にある自分の故郷を憧れ求めることなのです。
聖書の福音によれば、私たちの罪のためにイエス・キリストは十字架刑で死に、死からよみがえり、天に上げられ、事実、神は私たちのために天の都を用意しておられます。神キリストは、私たちの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。これは、神の愛による福音の真実です。
聖書で神は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼ばれています。私たちも「私の神キリスト」と呼ぶことができるのです。
まとめ
私たちがキリストを信じる前は、地上の価値観を優先して生活していましたが、キリストを信じると、天上の価値観を優先するようになり、天の故郷に憧れて神の御心の実現を目指して生活するようになります。
アブラハム、イサク、ヤコブから学ぶ信仰は、まさにこの天の故郷を目指して、地上では旅人で寄留者だと告白し、神のご加護を体験しつつ、神と共に生きる信仰です。
私たちもアブラハムと同様、地上では天の故郷を手に入れることなく死にますが、はるか先に見える天の故郷を喜び求めて、神キリストを人生に迎え入れるのです。
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