辞書によりますと人生とは、人がこの世で生きること、生きるとは命を保つことを意味します。しかし聖書がいう人生とは、神と出会うために生き、神と共に生き、そして神の国に行くことです。
1. 苦難
あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった者もありました。あなたがたは、捕らえられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。(ヘブル10:32〜34)
世的に生きていた私たちがキリストを信じて新生し、愛と善行に生きるようになると、初めの頃はなぜか、近しい人々から迫害されます。「なんだよ、付き合い悪いな」「善人ぶって不快だな」「日曜日を休みにさせてくれだと」といった反応です。
聖書の教えに従うことによって人々から受ける苦難があり、収入や財産を奪われる誘惑がありますが、そこに信仰を守る戦いがあります。信仰により天に積み上げられた、いつまでも残る財産こそが本物の財産です。
2. 忍耐
ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。(10:35、36)
キリストを信じ、霊的体験をしたときの確信を自己都合で捨ててはいけません。信仰の確信は、人生での大収穫をもたらします。神による約束の大収穫をもたらすために必要な信仰の心掛けは、忍耐です。
信仰人生において、キリストを告白したときの確信が一番記憶に残るものです。ですから、新生された後にくる迫害を驚き怪しんだりせず、悪魔による誘惑に信仰の確信で勝利し、天に財産を積んでください。
このように、信仰人生での大収穫のために必要なのは忍耐です。
3. 信仰
「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。(10:37〜39)
信仰に伴う試練で恐れ退くことを神は喜ばれません。試練での損害を恐れて滅びる者になるのではなく、生ける神を信じ続けて永遠のいのちを保つ者となりましょう。
私たちは世にある名誉、名声、財産に損害を受けることを恐れます。しかし、生ける神を信じて祝福と守りを受ける信仰で生き、試練苦難で恐れ退いて滅びに至らないよう信仰の努力をすべきなのです。
まとめ
目先の財産にとらわれずに永遠の財産に目を向け、世にある財産に損害があっても信仰生活を喜ぶことです。また、永遠の富を大収穫するための心構えは、信仰による忍耐だと聖書はいいます。生ける神キリストを信じる信仰による義であり、その義人は信仰によって生き続けます。
家族や友人、親戚からくる信仰の苦難によって簡単に恐れ退いては、神に喜ばれません。神の愛と忍耐によって完成されたキリストの福音を信じ続け、いのちを保つ者となりましょう。
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