今の時代、人の良心の問題がいろいろ取り沙汰されています。親が子を子が親を、祖父母が孫を孫が祖父母を殺したりする事件が頻発しているからです。良心とは、人それぞれが持っている善悪の価値基準による個人の道徳意識なので、もし普遍的良心があるとすれば、創造主なる神の裁きにだけあると言えます。
1. キリストの血と良心
もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。(ヘブル9:13、14)
律法の規定による幕屋でのいけにえの血や灰によってでさえ、汚れた人々をきよめられるとすれば、キリスト自ら御霊の導きによって神におささげになったその血は、なおさら私たちの良心をきよめます。
「聖霊も私たちに次のように言って、あかしされます。『それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける』」(ヘブル10:15、16)
第一の悟りは、聖書の律法に従った悔い改めによって、悪い思いと行いの汚れはきよめられるけれど、人の良心はきよめられないということです。第二は、御霊に導かれたキリストの十字架の血を信じたことにより、御霊が私たちの良心をきよめるということです。
「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ」(ヘブル10:22)
死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とするということです。
「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です」(ガラテヤ6:15)
新しい創造とは、律法と邪悪な良心で悔い改めるような死んだ行いから離れ、私たちがキリストの血で聖別され、聖霊により良心をきよめられ、悔い改める者から神に仕える者となる新生のことです。
2.キリストと新しい契約
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖(あがな)うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。遺言には、遺言者の死亡証明が必要です。遺言は、人が死んだとき初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は、決して効力はありません。(ヘブル9:15〜17)
キリストは新しい契約の仲介者で、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現し、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるという、キリストによる救いの福音が書かれています。
キリストは、十字架の死により人々を初めの契約・律法の違反から贖い出し、さらに、信じる人々を神と和解させる仲介者となりました。神に召された者たちは、キリストの仲介によって、永遠の資産を相続することができます。
旧約聖書とはキリストの遺言書であり、相続人は私たち人間です。キリストが生きている間は相続がなく、キリストが死んだときに、召された者たちが永遠の資産を相続します。
聖書の救いの福音とは、①旧約聖書が、救いの福音を啓示し、②キリストの死により救いの福音が完成し、③新約聖書通りにイエスをキリストと信じる人は、罪と死と滅びから救われ、④旧新約聖書に啓示された神の永遠の資産を、仲介者キリストにより、召された人々は相続します。
3. 初めの契約と血
したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。(ヘブル9:18〜22)
つまり、旧約聖書の律法は、いけにえの血で聖別され、神の資産を相続する遺言の契約として成立し、相続対象の民全体を、いけにえの血で聖別しました。律法のすべては、いけにえの血による聖別、いけにえの血による罪の赦しを要求しているのです。
「主は誓ってこう言われ、みこころを変えられることはない。『あなたはとこしえに祭司である』」(ヘブル7:21)
旧約聖書がいけにえの血によって聖別され成立し、神の律法により保障されたので、さらに優れた新約聖書は、さらに優れたいけにえの血としての主キリストの血により成立し、キリストはとこしえに祭司であるという神の誓いがさらに優れた保障となっています。
まとめ
旧約聖書の人類救済に関する約束が新約聖書で実現されるには、キリストがすべての点で旧約の律法の要求を満足しなければなりませんでした。なぜなら、すべての人は邪悪な良心により罪人として死に、律法を誰一人満足できなかったからです。
聖書の救いの福音を簡単に言うなら、①旧約よりも新約がさらに優れていたこと、②律法のいけにえの血よりキリストのいけにえの血の方がさらに優れていたこと、③律法の保証より神の誓いの方がさらに優れていたこと、④律法によるきよめより聖霊による良心のきよめの方がさらに優れていたことにより、⑤悪を悔い改め続ける死んだ人生から、生ける神に仕える命豊かな人生に新生されて、⑥キリストにより人類救済が実現した、ということです。
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