自分に必要な人とは、どのような人でしょうか。良き相談相手、良き友、良き助け手、良き協力者、良きパートナー、良き援助者、良き出資者などなど、もしかするとすべての良き人が必要なのかもしれません。
聖書が言う、私たちに必要な方は、罪と死と滅びから救ってくださる救い主です。
1. 必要な方
また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。(ヘブル7:26、27)
キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。すべての汚れから聖別された祭司が永遠にきよい務めを行うのです。このきよさは「あなたはとこしえに祭司である」(21)とされた神の誓いによる永遠のきよさです。
この永遠の大祭司イエス・キリストこそ「私たちにとってまさに必要な方」とあるように、私たちの悔い改めや信仰の行い、私たちの義を記憶して、審判のときに正しく裁いてくださる方です。
ほかの大祭司たちとは違い、キリストは毎日いけにえをささげる必要がありません。自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。イエス・キリストは一度十字架上でご自身をいけにえとしてささげ、罪のきよめを完了された永遠の大祭司となられたのです。
イエス・キリストは、律法を超越した神の誓いと、律法に従ったいけにえによる罪のきよめとにより大祭司となられ、神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。
2. 律法と誓い
律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。(7:28)
律法は、神が神の民を信仰の道に導くために、養育係として書き送られ、信仰を保てない弱さを持つ人間を大祭司として立て、救いの完成するときまで、全人類を律法の支配下に置きました。律法の後から来た神の誓いによる救いの時代で、誓いのみことばが、神の御子を救い主として永遠に全うされました。
律法によれば誰も義人はいないので皆が滅びましたが、神の誓いによる救い主キリストによれば、イエスをキリストと信じるすべての人は義とされ、信じる者は皆救われるのです。
3. 真実
以上述べたことの要点はこうです。すなわち、私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、人間が設けたのではなくて、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。(8:1、2)
私たちの大祭司は天の御座の右に着座された方であり、真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。天の父の御座の右に着座されたイエス・キリストは、神の誓いにより私たちの大祭司とされ、真実の聖所である天で神に仕えていて、私たちを無罪とし、きよい祭司として天に迎え入れてくださる方です。
聖書にあるキリストの福音を要約すれば、私たちが御国の影や天の影でなく真実の御国や天に入れるのは、イエス・キリストが天の父の御座の右に座られ大祭司となったことによるということです。
「律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのです」(10:1)
まとめ
私にとってまさに必要な方は、愛をもって私を正しく導き、正しく取り扱い、正しく評価し、私に約束の御国を相続させてくださる方です。
そのような私が愛する方は、神の御子キリストで、私の救いのために十字架上で私の罪を負って死んでくださった、イエス・キリストです。
そのイエス・キリストは、天の御国で父なる神の右に着座し、大祭司として御国を統治し、神に近づく私たちを御国に入れてくださる、とても大切な救い主です。
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