シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」すると、ネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。(ダニエル書3:16~19)
今、ロシアが自作のフェイクニュースを口実にウクライナに侵攻し、現政権を転覆させてかいらい政権を樹立しようとする大変な状況です。私たちにはそれぞれ自分の願いがありますが、それを無理に周りの人に押しつけ強制するのは許されないことです。自己実現が強調される現代ですが、クリスチャンの自己実現は、自分の願いだけでなく神の御心と聖霊による働き掛けがありますので、たとえそれが自分にとって不都合なことであってもそれを選ぶのです。
今日の聖書箇所は、古代バビロニア王国が南ユダ王国を滅ぼし、捕囚の民となったシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの話です。ネブカデネザル王は、捕虜でも優秀な者を重用し、彼らは素晴らしい仕事をしていました。しかし、王が金の像を造って拝むように命令を出したため、それに従わない彼らは、すぐに捕らえられました。「炉に投げ込まれて殺すぞ」と脅されたときに、彼らが答えた場面です。
今日は “シン” 生活宣言の8つ目の、“深” です。いつまでも表面的なものではなく、深められた信仰を持ちたいのです。クリスチャンでなければ、そのような立ち居振る舞いはできないという特別な強さ、恵みを与えられようではありませんか。彼らのような信仰を自分のものとするために4つのポイントを確認します。
1. 生きざまに深く刻みつけられる信仰
私たちの信仰は、単なる御利益主義ではなく、自分の命に染み込ませた習慣、それもクリスチャンの信仰に染め上げられていると言えるくらいに深められたいのです。イエス・キリストの十字架の血によって生まれ変わらせていただいた私たちは、命の内容にまで聖書の御言葉を刻みつけたいのです。
2. 時が良くても悪くてもクリスチャン
クリスチャンになっても病気や困難、苦しみはあります。しかし、時が良くても悪くても、クリスチャンであることは変わりません。何があろうといつもクリスチャンです。今日の箇所で彼らは、命も奪われる窮地に置かれました。しかし、人生の一大事においても妥協しませんでした。そこまで深められたいのです。
3. 腹の据わった覚悟を決めたクリスチャン
彼らの信仰は「もしそうでなくても」と言えるほど深められた信仰です。私たちの神は、必ず救ってくださいます。しかし、そうでなくてもと腹をくくり、覚悟を決めた、そう告白する信仰でありたいのです。恵みの神は、必要な恵みをいくらでも下さいます。しかし、自分の希望に合うから信じるのではなく、もしそうではなくてもと言える、キリストの兵士として覚悟を決める深められた信仰を持ちましょう。
4. 人の覚悟を超える神の恵み
一番強いのは神の愛と救いです。彼らはすぐに王の怒りを買って炉に投げ込まれましたが、王には、炉の中に4人の人が見え、驚いて彼らを炉から出てこさせると、彼らは完全に守られていました。そこで王は「このような神はほかにいない」と認め、畏れたのです。私たちの限界を超えたところで「それでも神は助けてくださる」という体験をして深められた、信仰の極意を目指そうではありませんか。損得勘定ばかりの薄っぺらな信仰者ではなく、神を愛し、人を愛し、イエスの御心に適う者になりましょう。
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