犯罪の被害者と加害者、その支援者らが死刑制度をめぐって対談する集会が11月27日、オンラインで開催された。加害者家族を支援するNPO法人「ワールドオープンハート」理事長の阿部恭子さんや、受刑者の社会復帰を支援するNPO法人「マザーハウス」理事長の五十嵐弘志さん、殺人事件遺族の原田正治さんら、集会を企画した5人がパネリストとして参加。自らの体験に加え、犯罪の被害者や加害者を支えてきたそれぞれの立場から、死刑制度について率直な意見を交わした。またこの日、参加したパネリストらが共同で、犯罪の被害者側と加害者側の双方を支援する任意団体を結成したことを発表し、阿部さんは「これから社会への問題提起としての死刑の議論や、被害者、加害者対話の推進をやっていきたい」と訴えた。
集会の趣旨について阿部さんは、「一般的にどうしても被害者と加害者は考えていることが絶対に合わないのではないかと思われているかもしれないが、むしろ一致する部分もあり、協力してこれから被害者を出さないための取り組みができないかとずっと考えてきて、今日ようやく実現するに至った」と説明。今後は、犯罪の被害者、加害者を問わず、現場を知る当事者やその支援者が社会に発信できる場として、テーマも定期的に変えながら開催していきたいと語った。
2010年の宮崎家族3人殺害事件の加害者である奥本章寛死刑囚を支える荒牧浩二さんは、事件に関わるまで死刑制度についてはあまり考えたことがなかったという。しかし事件に関わる中で、一審が当時始まったばかりの裁判員裁判だったことや、裁判のやり直しを求める上申書が被害者遺族から最高裁に提出されていたにもかかわらず、上告棄却の判決には上申書の存在が一切触れられていなかったことなどから、日本の裁判制度の在り方に強い疑問を抱くようになった。また、奥本死刑囚の地元で加害者家族を支える動きが強かったことも、「こういう形で本当に人の命を奪うということが決められていいのか」という荒牧さんの疑念を強くさせた。
一方で荒牧さんは、もし死刑を回避するとしたら、代わりにどういう罪の償い方があるのかという問いに直面した。「奥本くん自身は、一貫して自分はとにかく死刑になるしかない、奪ってしまった命に対しては自分の命で償うしかないと基本的には思っている。ただ、加害者家族たちがやっぱり生きてほしいという強い願いを持っている。その中で、じゃあどう生きていき、どうそこに向き合っていけばいいのかということを彼自身は考え続けている」と話した。
奥本死刑囚に寄り添う中で荒牧さんは、「命の大事さ」について深く考えざるを得なくなったという。「命の大事さが日本全体、世界全体で軽んじられている中で、それを考えていく、あるいは考えるだけじゃなくて実践していくことの大事さというものをどう考え、どう伝え、どう生きていくのかということに私自身の問題として向き合えたことだけでも、私は逆にありがたい出会いだったと思う」と話した。
実の弟を殺した死刑囚との交流をきっかけに、死刑制度に反対するようになった原田正治さんは、「対話によって初めてお互いの気持ちが通じ合う」と話し、被害者と加害者の対話の重要性を強調した。原田さんは、「(対話によって)言いたいことも言える。文句も言える。そして罵声を浴びせることもできる。そういった中で、自分の心をぶつける場所でもあった。そういう面から言っても、対話は絶対に必要だと思う。その先にあるのが死刑廃止だろうと思っている」と語った。
6年前、交通事故に巻き込まれた母親を自死で亡くしたことがきっかけで、現在は画家として活動する弓指寛治さん。交通事故をテーマにしたある展示会を企画する中で、加害者側が被害者側と同じような苦しみを持っていることに気付き、被害者と加害者を分けるのではない、別の方法があればいいのではないかと考えるようになったという。今年の夏には、母親の交通事故を起こした加害者とも会って直接対話した。
「僕はたまたま加害者側になってしまった人たちの心情も知っていたから、拒絶することなく(加害者の)話を聞くことができた。でも、これを当時いきなり言われたら、多分受け入れられないと思う。それには結構な時間が必要で、そのタイミングがたまたま合ったから、僕としてはいい形で、被害者とか加害者で分けるのではなく人間として対話ができた」
マザーハウスの活動を通して、死刑囚を含め約800人の受刑者と関わる五十嵐さんは、10月末に京王線車内で発生した刺傷事件の犯人が、死刑になるために犯行に及んだと供述していることに触れ、「死刑が何たるものか分かっていない」と強調した。「(死刑囚は刑執行まで)24時間、常に監視の中、規律の中で生きていく。それが永遠のように続く。死刑になりたいから人を殺すというのは、死刑というもの自体を知らな過ぎる」と話した。
自身も前科3犯で20年近く服役した経験のある五十嵐さんは、受刑中に聖書と出会い、被害者と加害者の双方に寄り添う神の愛を知り、自分の罪と向き合うことができた。犯罪の加害者を徹底的に断罪して追い詰めようとする社会の雰囲気については、「それでは(加害者が)罪とは向き合えない」と指摘。「加害者を擁護するつもりはないが、加害者の中にも傷があるのだということを知ってほしい」と訴えた。
300件余りに及ぶ殺人事件の加害者家族を支援してきた阿部さんは、死刑には至らない犯罪も含め、加害者本人と直接対話する中で気付くのは、当事者が抱える「孤独」の問題だと言う。阿部さんは、「誰でもうまくいかなくて、自分だけが孤独だと思うときに、その痛みを周りに分からせたいと考えてしまうことはある。でも、そこで歯止めになるのが、やはり大事な人とか、今やりたいことや夢があるといった周りの環境だと思う。その歯止めをわれわれが作っていくことが、そうした事件を抑止することではないか」と語った。
五十嵐さんは、「当事者の声をきちんと聞くことが大切」と指摘。「苦しいときに『助けて』と言える場所を作ってあげることが大切ではないか」と話した。また、加害者としての苦しみから自身を救ってくれたのは被害者家族から掛けられた言葉だったと語り、「被害者と加害者がお互いに対話し、社会で生きていくことが重要ではないか」と話した。
原田さんは、加害者の死刑が執行された今でも加害者が憎く、許したくない思いは変わらないとしながらも、「加害者、被害者という垣根を取っ払って対話することによって、2人の間にある程度の信頼感が出てきた。それを大事にしていきたい。加害者の人が本当に憎くて仕方がなかった。それを乗り越えてきたことはすごくいいことだったと、今では感謝している」と語った。