2002年に神奈川県横須賀市で、米兵によるレイプ被害に遭ったオーストラリア出身のキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんが5日、外務省を訪問し、同省や防衛省の担当者らと会談し、岸田文雄首相に宛てた要請書と書簡を手渡した。直接のレイプ被害だけでなく、日本の警察から受けたセカンドレイプや、米軍に有利に働く日米地位協定のために苦しんできたジェーンさんは被害後、女性を性被害から守る人権活動家として活動している。
要請書は、日本で犯罪を犯した米兵がこれまで、裁判中にもかかわらず帰国できた理由や、米兵が関係する審理中の事件を、早急かつ包括的に調査することを要請。米兵による性犯罪を防止するため、日本の法令を「尊重する」と記されている日米地位協定第16条を、日本の法令に「従う」へ改正することを求めている。
米兵から性的暴行を受けた被害者やその家族はこれまで、日米地位協定の壁にはばまれ、泣き寝入りすることが数多くあった。また、訴訟の相手が米軍や日本政府となるため、不利益を恐れて顔や名前を出して不正義を訴える被害者は少なく、ジェーンさんは人権活動を通して彼らの声を約20年にわたり代弁し続けてきた。
ジェーンさんの場合、横浜地検が加害米兵を不起訴にしたが、民事訴訟で被害は認められた。300万円の賠償命令が下されたが、米兵は裁判中に米軍を通して国外に逃れていたため、米兵本人から賠償金が支払われることはなかった。ジェーンさんは米兵を探して渡米。米国で再度提訴し、法的にレイプの被害事実は認められたが、引き換えに和解金は1ドルに。金銭より正義を優先した司法取引だった。
岸田首相の外相時代の発言
岸田氏は外相時代の記者会見で、ジェーンさんの事件において加害米兵を日本から米国に移動させた在日米軍の対応について、見解と改善を求める意志を問われた際、「性的暴行事件のような凶悪事件は、決してあってはならないこと」と指摘。その上で民事訴訟の結果と、その後日本政府が見舞金として賠償金と同額の300万円をジェーンさんに支払った事実を把握していることを示した。しかし、米国の訴訟が当時は審理中であったことを理由にそれ以上の発言は控え、「事件の行方を注視していきたい」と述べていた。
ジェーンさんは、岸田氏の外相時代の発言を踏まえた上で、首相就任初日に要請書を手渡すことに意味を見いだしたという。ジェーンさんはこれまでも複数回、外務省をはじめとする関係省庁に、米軍に日本の法律遵守義務を課す日米地位協定への改正を訴えてきた。しかし毎回、重苦しい雰囲気をした年配の男性職員らがうつむいて事務的に対応するだけで、被害者感情に共感するような態度は見られなかったという。
しかし、今回対応してくれた外務省の職員は若い女性で、米兵によるレイプ被害を訴えるジェーンさんの話に、同じ女性として真剣に耳を傾けていた。職員は、岸田氏が外相時代にジェーンさんの事件を重要視していたことを挙げ、「要請書と書簡を首相官邸に伝える」と約束。会談に同行取材した本紙にジェーンさんは、「これまでとはまったく異なる外務省の対応に希望を感じた」と語った。
活動支えてきた父の死
ジェーンさんの応対に当たった外務省の職員は、活動を支えてきたジェーンさんの父が亡くなり、今回の会談に出席できなかったことに触れ、哀悼の意を表した。会談で話題に上った父を、ジェーンさんは「私のヒーロー」と呼ぶ。
ジェーンさんの父は聖公会の元牧師。レイプ被害に遭ったジェーンさんの活動に共同で出資し、支え続けてきた。性被害者支援のためにジェーンさんが立ち上げた「ウォリアーズ・ジャパン」のウェブサイトはすべて父が手掛けたという。レイプ被害者の相談に24時間対応できるセンターの開設に向けた2人の長年の努力は実り、今年8月1日にはセンター開設に必要となる事務所を開くことができた。しかし、それを目前にした7月23日、父はオーストラリアの病院で亡くなった。死の直前までウェブサイトの作業をしてくれていたという父はジェーンさんに、「感謝を欲してではなく、正義のためにしなさい」と語っていたという。
岸田氏へ宛てた書簡の中で、ジェーンさんは父のことにも触れている。「2002年にレイプされて以来、父も私も暴力のない世界を目指し、共に日米地位協定を変えていこうと努力してきました。私は、父が生きている間に日米地位協定の改正に立ち会い、世界をより良い場所にしようとした20年間の努力が無駄ではなかったことを知りたいと思っていました」。ジェーンさんは、これまでどの首相も日米地位協定の改正をできなかったことを挙げ、岸田氏には「私は、父が残したレガシーは無駄にはならないと固く信じていますし、あなたが私たちの首相になったことで、修正案は必ず達成されるでしょう」と託している。
教会がレイプ被害者のためにできること
新型コロナウイルスの影響で渡航できず、父の最期をみとることができなかったジェーンさんは、父を記念する集会を催してもらえる教会を東京都内で探した。ある教会の牧師に、自身がレイプ被害者であり、人権活動を行っていると紹介すると、その牧師は驚きのあまり固まった。
「あなたが祈りの答えでした」と話す牧師にその理由を尋ねると、次の週の主日礼拝に、レイプ被害に遭ったことが聖書に記録されているダビデ王の娘タマルについて説教するかどうか迷っていたのだという。牧師は説教で伝える聖書箇所を決めることができ、神の導きを直感したジェーンさんと牧師はその後、父の召天記念式をこの教会で行った。
「聞く人の居心地が悪くなるような話ですので、タマルがレイプされた箇所を用いて説教する教会は多くはないでしょう。しかし、これは聖書にれっきとして記録された事実です。また、レイプは被害者の責任ではありません。それなのに被害者が自殺し、悲しみを心に抱えて生きる現状があります。私は教会こそレイプ被害者に寄り添い、助ける存在であってほしいと本当に願っています」
ジェーンさんはレイプ被害後、警察による尊厳を無視した取り調べによりセカンドレイプの被害も受け、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に陥った。絶望の中、浜辺を歩いていたとき、ハートの形をした石を立て続けに3つ見つけたという。「神様が石を見せてくださったのです。私が見いだした解決は愛でした」。徐々に立ち直ったジェーンさんは、米兵から性被害に遭った他の女性たちの相談に乗り、自らの経験と置かれた状況を通して被害者に寄り添うことで、神の愛を実践することを目指すようになった。
軍法会議でレイプ被害者が正義を得ることは困難
米空軍の元主任検察官で、米軍関係者による犯罪被害者を支援している人権擁護団体「プロテクト・アワー・ディフェンダーズ」理事長のドン・クリステンセン氏は、要請書に添付された陳述書の中で、米軍の軍法会議でレイプ被害者が正義を得ることが困難な現状を挙げ、「米国人が日本の国内法と米国の法律の両方に従うことが必須である」と証言している。
岸田氏への書簡で、ジェーンさんは不正義の代表的な事例として、「由美子ちゃん事件」の名で知られる米兵による少女誘拐強姦殺人事件を挙げている。沖縄が米軍占領下にあった1955年、当時6歳の幼女だった永山由美子ちゃんを、米軍のアイザック・ハート軍曹が誘拐、レイプした後、殺害した後に遺体を基地内のゴミ捨て場に遺棄した事件だ。この事件は沖縄で大規模な抗議活動を引き起こし、ハート軍曹は軍法会議で死刑宣告を受けた。しかし、その後45年の重労働に減刑され、後に米軍の最高指揮官でもあるジェラルド・フォード米大統領(当時)の恩赦により、仮釈放すら認められた。
日米地位協定の改正は誰がどう決めるのか
日米外交を担う外務省北米局に設置された4つの部署のうち、総合的外交政策は第一課、経済政策は第二課、安保条約は日米安全保障条約課、日本に駐留する米軍などの取り扱いに関する事務は日米地位協定室が担当している。
日米地位協定の改正交渉で合意形成の場となる日米合同委員会の組織図によると、「日米合同委員会合意の見直しに関する特別分科委員会」の代表は同室室長が務める。米側代表は在日米軍司令部副司令官。外務省のウェブサイトの日米地位協定関連のページには、岸田氏が外相時代に日米地位協定の補足協定の署名やそれに関連する駐日米国大使との懇談を複数回行っていることが分かる情報はあるが、第16条の改正に関するものはない。
2011年には日本の週刊誌が、米兵犯罪の裁判権を放棄する密約を交わしていたと、外務省が同年8月に公開した資料に基づいて報じている。外務省は日米地位協定Q&Aの密約に関する質問の回答で、「日米合同委員会における協議を経た合意事項は、そのほとんどが施設・区域の提供、返還等に関する事項」であるとし、裁判権の放棄に関してはコメントを避けつつ、従来から米側と協議の上で、その全文または概要を公表してきたとし、「今後とも、日米合同委員会での合意についての公表に努力していきたい」としている。
「16条の改正にあとどれくらいの時間がかかるのかは分かりません。もう20年以上もかかっているわけですから」とジェーンさんは言う。「ですが、もし私たちが神様に、そして愛に心を向け続け、主の御手に頼り、主の道に従う信仰を持てば、不可能なことはないと、私は信じます。すべての栄光が神様にありますように」
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