人類史に例を見ないような、20世紀後半の韓国の急激な教会成長の渦中にいたアジアの巨星、趙鏞基(チョー・ヨンギ)牧師が9月14日の朝、85歳の生涯を終え、天に召された。彼の評価については見解の相違があるものの、歴史に残る規格外の「信仰の人」だったことに間違いはないだろう。
1973年に献堂されたヨイド純福音教会の会堂建築物語はあまりにも有名だ。「主によって満たされる」と信じて69年に着工開始した会堂建築だったが、折からのドル暴落とオイルショックによって資金繰りが頓挫して請求書が山となり、ついに工事は中断した。趙牧師は、工事中の何もない教会堂で何日も涙を流して祈った。給料も払えないため、教会スタッフが離れ、教会員も離れ始めた頃、彼は真剣に自殺まで考えたそうだ。
建設業者から告訴され、いよいよ絶体絶命になったとき、信徒たちも建設中の会堂に集まり、牧師を支える祈り会が始まった。婦人たちは、カツラの材料として売るため、髪の毛を切ってそれをささげた。そんな時、身寄りなく生活保護でかろうじて生きていた老婆が、顔をしわくちゃにして、泣きながら聖壇に歩み寄り「わしはイエス様に救われて、こんなに幸せなのに、ささげるものが何もありませんです。これがわしのすべてですじゃ」と言うと、使い古した箸と茶碗を差し出した。無一文の彼女のすべての持ち物がそれだった。
「おばあさん、これはあなたの大切な物ですから結構ですよ」と趙牧師がたしなめると、老婆は声を上げて泣き「こんなもんが役に立たんことは、わしにも分かっとりますじゃ。ただ何もないわしの、これがすべてなんじゃ」と言ったのだ。彼女は、本当は自分の命までもささげたかったのだろう。それを見ていた一人の実業家の信者が「その箸と茶碗、買った!」と声を上げた。彼は1千万円近い金額でそれを買ったのだ。これに続いて、多くの信者らが、自らを顧みず、次々にささげ始めた。この出来事がきっかけとなり、必要のすべては満たされ、ついに請求書の山は消えていった。
このようにして、韓国国会議事堂の真向かいにあるヨイド純福音教会は建築されたのだ。韓国には「ささげる喜び」を知れる数えきれない信者がいる。それは「余り物」ではない、犠牲を払ってささげる「信仰の贈り物」だ。このようなささげ物は、彼らの心の内で、純粋な喜びとなってあふれるものだ。これら篤(あつ)い信仰の教会員らによって、趙牧師は愛され支えられたのだ。
何もない天幕伝道から始まり、ギネスブックに認定されるほどの世界最大教会にまで押し上げた趙牧師の功績は、もっぱら数的成果が注目されるが、実はそうではない。韓国の教会では、保守的な長老派やメソジスト派などでも、異言で祈る信者が珍しくない。これは、カリスマ(御霊の賜物)を求める祈り会が、教派を超えて広がった結果だ。言うまでもなく、そこにはヨイド教会の影響力があったのだが、20世紀後半の韓国教会の急成長は、このカリスマ的リバイバルの側面を決して否定できない。
もちろん異言や癒やしは、救いのしるしでも、新生のしるしでもなく、それは一つの賜物にすぎない。皆が与えられるわけでも、与えられた信者が他の信者より優れているわけでもない。信仰の年月や成熟度とも関係ない。個人のためにではなく教会のために与えられる完全な恵みによるギフトだ。
最後の使徒ヨハネが黙示録を書き終えたとき、正典になるような神の啓示活動は終わった。しかし、同じ御霊によって、宣教のための力と賜物は今も注がれている。御霊の賜物は、すべてが終わったのでも、すべてが継続しているわけでもない。部分的に終わり、部分的に継続しているのだ。そして聖書は、明確にこれを求めるようにと勧めている。
留意すべきは、聖霊によらない偽物の現象も多くあるため、現象に飛びつくのではなく、御言葉と結んでいる実によって、その現象がいかなるものなのかを判断すべきだろう。
この教派を超えたカリスマを求める傾向は、南米・アジア・アフリカを中心に、宣教の拡大とともに今や全世界に広がっている。趙牧師の率いたヨイド教会がこの働きに貢献した功績は、正当に評価されるべきだろう。
韓国が、さらに力強く聖霊に用いられ、世界宣教が前進するよう祈っていただきたい。
■ 韓国の宗教人口
プロテスタント 35・3%
カトリック 9・2%
仏教 23・7%
儒教 2・7%
イスラム 0・3%