今回は、エフェソ書3章8節から13節を読みます。
8 この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、9 すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。10 こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、11 これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。12 わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。13 だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。
「秘められた計画が、どのように実現されるのか」について
前回、「秘められた計画」がエフェソ書執筆よりは少し前に、使徒や預言者に啓示されたことをお伝えしました。今回も「秘められた計画」が大事なことになりますが、今回読む箇所の9節には、「秘められた計画が、どのように実現されるのか」(新共同訳)とあります。この原文「ティス ヘー オイコノミア トゥー ミューステリウー / τίς ἡ οἰκονομία τοῦ μυστηρίου」という言葉は、少々翻訳が難しいと思います。そのため、幾つかの翻訳を並置してみたいと思います。
- 秘義の計画がどのようなものであるか(聖書協会協同訳)
- 奥義の実現がどのようなものなのか(新改訳2017)
- 神秘が、実現するとはどういうことであるか(フランシスコ会訳)
- 〔キリストの〕奥義の計らいがどのようなものであるか(岩波訳)
- 秘儀の摂理がどういうものであるか(田川建三訳)
- 神秘が、今どのように作用しているか(本田哲郎訳)
「ミューステリオン / μυστήριον」は、「秘儀」「奥義」「神秘」と翻訳されています。「オイコノミア / οἰκονομία」は、「実現」「計画」「計らい」「摂理」「作用」と翻訳されています。「オイコノミア」は本来、「管理の職」という意味です(ルカ福音書16章1~13節の不正な管理人のたとえを参照)。パウロは「オイコノミア」を、「ゆだねられている務め」(1コリント9:17)と、「使徒職」を表すために使っています。コロサイ書では、「神は御言葉をあなたがたに余すところなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました」(コロサイ1:25)と、「神の包括的な救済計画」の意味に理解しています(『ギリシア語新約聖書釈義事典(2)』566~567ページ「オイコノモス」の項参照)。
エフェソ書では、1章10節、3章2節(新共同訳では訳出されていない)に続いて、この3章9節で「オイコノミア」が使われていますが、「実現」「計画」「計らい」「摂理」「作用」と翻訳されているとすると、第1コリント書やコロサイ書の「務め」とは違うように思えます。「オイコノミア」の本来の意味である「職務」というニュアンスよりも、神の側の働きが強調されているように思えるのです。
これに関して、上記『ギリシア語新約聖書釈義事典(2)』の「オイコノモス」の項では、以下のように述べています。
(エフェソ書の)著者の念頭にあるのはパウロの使徒職よりも、「神の救済計画、・・・そして神の救済計画の中に使徒の職務が組み込まれているということ」なのである。とはいえ、ここで既にオイコノミアと神の救済計画が交換可能な同義語となっていると見做(な)すのは正しくない。(中略)秘められたものとして決められていた神の救済計画の実行が指令され完遂されるという過程が、ここでもオイコノミア概念によって表現されているのである。(同書567~568ページ)
上記の記載から、9節は「神の救済計画の実行が指令され、そしてそれが使徒(おそらくパウロを意味する)の務めによって完遂されるか」を伝えようとしているのではないかと思います。
天上の支配や権威
10~11節に、「こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです」とあります。この「天上の支配や権威」について考えてみたいと思います。「天上の支配や権威」とは何を意味しているのでしょうか。それは天使の類なのでしょうか。それとも神に反する勢力なのでしょうか。これは、エフェソ書2章1~2節に「さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました」とありますし、また6章12節に「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」とありますから、神に反する勢力でしょう。
また、このことについては、1953年にオランダで出版されたH・ベルコフ著『キリストと諸権力』に詳しく書かれています。
当時の宇宙論は天をいくつかの区分に分けて、神の住む天、星の天、(地球と月の間の)空気の天などとしていた。これらの最後のものが地上を秩序づける不可視的な高次の影響圏として、地に直接属するものである、と考えられていた。だから〈空中〉とは、神と人間の両世界を結合する領域である。それなのに諸権力は、ここにも居住し、人間を〈不従順の子ら〉(エペソ2・2)として〈反逆と罪〉の道に歩ませるように〈この世のならわし〉を決定する支配者に従属する。(同書32ページ)
この「天上(空中)の支配や権威」に対しても、奥義が知らしめられるということです。ベルコフによるならば、それは「教会は、この世に住む二種類の人間、すなわちユダヤ人と異邦人とを、かつて何人も夢想だにしなかった方法で一つにした。キリストが両者を一つに結びあわされたということは、長く秘められていた奥義(9節)」であり、「これこそ、教会が諸権力にむかって告知する内容である」ということなのです(同書57ページ参照)。
「ユダヤ人と異邦人が一つにされるということが長く秘められていた計画であった。イエス・キリストによってその計画が使徒に啓示され、教会はそれを天上の支配と権威に告知し戦いつつ、伝え実践していく」ということではないかと思います。
コロサイ書1章21~29節との関連
今回の箇所を含む3章を読んでいますと、コロサイ書1章21~29節との関連がとても強いように思います。「著者をパウロになぞらえていること」「秘められた計画」「福音が異邦人に伝えられること」「内におられるキリスト」などです。
お伝えしていますように、私は「コロサイ書の著者はフィレモン、エフェソ書の著者はオネシモ」と考えていますので、これらのことに「パトロヌス(元奴隷の主人・保護者)フィレモン」に対する「クリエンテス(元奴隷・被護者)オネシモ」の思いを見てもいます。しかし、「パウロ→フィレモン→オネシモ」という師弟関係を通じて、「長く秘められていた計画が私たちに与えられていること」に感謝をしています。(続く)
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