最初はよくある芸能人本の類いだと思っていた。メンタリストDaiGo氏(北川景子さんのご主人ではない)の得意げな顔が表紙を飾り、「超」という字は丸で囲まれている。これはきっと、『「超」勉強法』などで知られる野口悠紀雄氏の「超」シリーズを真似したものだろう。だから、書店で本書に出会っても最初は見過ごしていた。しかし、日頃から牧師としていろんな人の相談に乗っているうちに、「決断力が大切です!」というフレーズをよく口にする自分を発見していたため、本書のタイトルになぜか引かれていた。そして手に取って少し読んでみると、興味のアンテナが大きく振動するのを感じた。値段も手頃だ。ちょうどわずかながらも、思わぬボーナスが入ったその日のことである。チキンハートで有名な私の心も少しばかり大きくなっていたのだろう。目次を拾い読みして、さっとレジへ向かうこととなった。これが大当たり。こうして本書は私の中で、皆さんに紹介したいと思うようなレベルまでのし上がってきた。
さて、著者のDaiGo氏は一時、テレビで見ない日はないというくらいの人気ぶりだった。しかしある時から、ぷっつりとその姿を見なくなった。その理由が本書には書かれている。そして、それは本人がまさに本書で解説しているような「物事の決断」の原則に従って、自分で「テレビには出ない」「執筆活動と動画配信で生きる」と決断した結果だという。テレビでもてはやされていた人という色眼鏡を外して本書を読むなら、これほど明確で整理されたメッセージはないだろう。それくらい分かりやすい。誰が読んでもすぐ理解できるし、例話も絶妙で印象に残りやすい。そして何より二色刷りでポイントとなるところが太字になっているため、強調されている箇所だけをつなげて読んでいっても大体の話の流れが分かる。250ページ強の分量だが、おそらく一気読みもできるし、所要時間は1時間半くらいだろう。
そして何より、本書は「まだ見ぬ未来に対して、どんな心構えで向かえばいいか」を書き記している点で、キリスト教の信仰と触れ合う余地がある。キリスト教、特に保守的な福音派の中にいると、よく耳にするものとして「神の御心」というフレーズがある。これは、天地万物を創造された神が、私たちの現実に頻繁に介入し、そして私たちの生活を導いてくださる、という信仰に基づく概念である。だから私たちは、神の御心を求め、祈り、そしてそれを見いだしたと信じて一歩を踏み出していく。これが理想的な信仰者の生き方となる。
本書は、この私たちの信仰的な世界観を、最新の心理学的見地からひもといたらどうなるか、という読み方ができる。つまり、「神の御心」を科学的に語るとどうなるか、どんな言い回しになり、どんな結果がそこから見いだされるか、というかなりリスキーな命題を抱かせる触媒的一冊である。もし「御心」と言いたくなければ「ミココロ」と少し軽くしてもいい。
考えてみれば、私たち信仰者は、他者からは決して検証され得ない「宗教的言説」を当たり前のように駆使して日々を送っている。「神が示された」「これは霊的な導きです」「これこそ御心です」など、本人は一つの解答をすでに得ているが、それが「確かな答え」であるという確証を人々に提示するとき、どうしても他者(特に未信者)にとってブラックボックス化する「神」「霊的」「導き」「御心」という言葉を多用してしまい、それでうまく説明した気になってしまう。同じ信仰者同士ではそれでいいかもしれないが、日本の99パーセントの人に私たちの確信(確証)は伝わらない。しかし本書は、それを「誰でも分かる言葉」と「科学的なデータ」を用いて伝えられるのだ、と語り掛けている。一例を示そう。
本書第2章で、「決断麻痺(まひ)」(なかなか決断できない状況)に陥った場合、どうしたら決断へ心を向けることができるか、が語られている。そこには4つのポイントが挙げられており、その中の一つに「マイ・ヒューリスティックスを作る」というアイデアが示されている。
つまり、「マイ・ヒューリスティックス」とは、「自分にとって、ある程度の頻度で良い結果を導き出すことができる経験則」のこと。(中略)なぜ対策になるかというと、基準となる「マイ・ヒューリスティックス」があると、決断に対する迷いが減り、早く決められるようになるからです。(95ページ)
つまり、人は未知の状況に出くわしたとき、自分の中に「こうしたらうまくいく(いった)」という経験値を積み上げることで、似たような状況に手早く、そして確信を持って対処することができるということである。このマイ・ヒューリスティックスは、信仰者にとってみれば、何世紀にもわたって積み上げられてきた「神との経験」が詰まった聖書になるだろう。信仰者の中に、マイ・ヒューリスティックスとしての聖書の言葉がしっかりと根付いており、それを信じ、それに従うならば、迷いを最小限に減らして決断できることになる。
それは言い換えれば、「聖書の言葉によって励まされること」であり、「聖書の原則に基づいて判断すること」であり、「聖書を通して神が最善を示しておられると信じること」であり、それはまさに「神の御心」を信じて決断することではないだろうか。これがある面で心理学的に「正しい決断方法」といえるのだ。ちなみに本書によれば、この考え方は米国防高等研究計画局(DARPA)なども採用している「クネビン・フレームワーク」という決断の迷いを減らす枠組みに基づくらしい。
私は、私たちの信仰スタイルが「科学的に」有効であることをうれしがっているのではない。聖書は科学で捉えきれるほど小さなものではないし、私たちの信仰もまた同じである。むしろ、このように「神のミココロ」の有効性を未信者に説明することができるなら、私たちの福音宣教は伝統的な語り口に加え、現代的な色合いも帯びることができるからうれしいのだ。単なる「宗教」や「偏った考え方」の域を出て、誰にでも理解と納得を与えることができる「人としての決断・生き方の指針」として、聖書を提示することができるようになるのではないだろうか。
そういった意味で、本書は多くのクリスチャンにこそ読んでもらいたい。そしてこういう平易な表現を獲得し、目の前で決断できずに悩んでいる人に対し、私たちが日常で行っている具体的な祈りや聖書の適用方法を大胆に伝えていってもらいたいと願う。
ぜひ皆さんも、本書を手に取るという「決断」をしてもらいたいものである。
■ DaiGo著『超決断力―6万人を調査してわかった迷わない決め方の科学』(サンマーク出版、2021年5月)
◇