フォロワー(読者)が10万人を超えるまでに人気を集めている上馬キリスト教会のツイッター。2018年には『世界一ゆるい聖書入門』が出版され、2匹目のどじょうを求めて多くのキリスト教関係者がツイッターに参入した。そのどれもが、上馬キリスト教会のようなアプローチ(ゆるく、大喜利的な殺し文句を並べたてる)を踏襲しているように思える。
マスコミにも取り上げられ、クリスチャン・ノンクリスチャンの壁を打ち壊し、多くの人にその名を知られるようになっていった。知名度アップに伴い、昨年には講談社から続編の『世界一ゆるい聖書教室』が、今年7月にはダイヤモンド社から『キリスト教って、何なんだ?』が出版された。そして間髪入れず9月に出版されたのが、本書『人生に悩んだから「聖書」に相談してみた』である。今度はKADOKAWAから。この勢いが続くなら、KADOKAWAで映画化!なんてこともあるかもしれない。
本書の著者である上馬キリスト教会ツイッター部のMAROさんは、同志社大学で私が受け持っている授業にも、特別講師として参加し続けてくださっている。コロナ禍にあっては、ZOOMでの参加もいとわない。そんな気さくな人柄から、多くの著作が生み出されているのだろう。MAROさんは令和時代の三浦綾子、遠藤周作となるかもしれない――。そんな期待さえ筆者は抱いている。昭和時代は「小説」分野での進出だったが、令和時代は「実用書」での躍進である。
本書は、いわゆる「お悩み相談」系である。こういった類の本は、仏教関連の書籍に同じようなものがある。『VS仏教 “ブッタの教え″ は現代の悩みに勝てるのか!?』がそれである。同書は、ネット依存やSNS炎上など、現代的なトピックスに対して僧侶が説法し、それを聞いた一般人と語った僧侶の対談がまとめられている。こうした「お悩み相談」が一冊の本となって出版されるとはすごい、と思っていたところであった。
本書もまた、そうした現代的な悩み(第4章)や、人類普遍の悩みといってもいい恋の悩み(第5章)などを扱っている。加えて面白かったのは、第3章で「聖書に出てくる人も悩んでいた!?」として、アダム、サラ、アブラハム、ヤコブにモーセ、サムソン、そして新約時代ではマリア、トマス、ユダ、極めつけはイエスも取り上げていることである。
基本的に一問一答形式であるが、それらが散文的に並べられているのではなく、自分自身のこと(外見や性格)や、ちまたで行われているキリスト教的諸行事(クリスマス、イースター)に対する未信者の本音が赤裸々に描き出されていることは注目に値する。つまり、本書は「こんな切り返しをするのか!」と楽しむこともできるし、「あ、これは自分も悩んだな」とリアリティーを感じながら、本書を通してMAROさんに(いえ、聖書に)解決の糸口を与えてもらうという読み方もできる。
いずれにせよ、聖書が身近に感じられることは間違いないし、「聖書ってそんなことにも答えているの?」とキリスト教のレンジの広さを実感するにも持ってこいである。
実はこのような「お悩み相談」的な視点で聖書を持ち出すというやり方は、個々の教会内では歴史的に行われていた(例えば「告解」など)が、社会的潮流となってきたのは1980年代以降である。聖書と心理学(主にカウンセリング)の融合が試みられ始めたあたりが、そうした時代を象徴的に示している。少し書評から離れるが、このあたりを概観しておくと、本書が出版された意義がさらに深まると思われる。
19世紀末、聖書の内容をめぐって近代主義と聖書直解主義とが対立した。特にこれは米国において「ファンダメンタリズム論争」として、各教派内に深刻なダメージを与えることとなった。この論争の一応の終息を見るのが1925年。スコープス裁判によって、聖書直解主義が裁判で勝利するも人々から嘲笑の的とされ、歴史の表舞台から消え去ってしまったのである。やがて第2次世界大戦後に東西冷戦時代を迎え、その中で再び息を吹き返した(厳密にはアンダーグラウンドでしっかりと受け継がれていた)聖書直解主義は、「福音派」という言葉を自らに当てはめることで、新たな潮流となっていったのである。
その際、聖書の言葉をあえてその文脈から切り離し、「座右の銘」や「格言」のような使い方をすることで、人々にどう受け入れられるか、その言葉がどんな変化を人の心に与えるか、という試みがなされるようになっていったのである。その系譜に本書を位置付けるなら、まさに令和時代にふさわしい「福音宣教のツール」として用いられることだろう。
そして本書は、著者の着地点が決して従来のキリスト信仰から外れていないということも明記しておくべきだろう。心理学のカウンセリングには「非指示型」と呼ばれるものがあり、現時点ではこちらが主流であろう。心療内科などでもおそらく「受容」「共感」がその中心的な役割を担っている。しかし聖書に基づいてお悩み相談をする場合、どうしても最後はインストラクション(教示、指示)的要素を持たざるを得ない。そのあたりを著者のMAROさんは、こういう言い回しで語っている。
この本でいくつも悩み解決のヒントを書きましたけれど、究極の悩み解決のコツは「祈り」なんです。祈りと言うと、ちょっとハードルが高いと感じる方もいるかもしれませんが、祈りって思うよりもずっと簡単にできるものです。たとえば「疲れたな」という独り言を「神様、疲れました」に変えれば、それでそれはすでに祈りです。自分の感じていること、思っていることをそのまま神様に向ければそれが祈りです。(245~246ページ)
英語の「駅前留学」「お茶の間留学」ではないが、「ちょっとページをめくってみようかな?」と気軽に思わせる仕掛けが満載の一冊である。ぜひ自分のため、そして悩みの中にある友人知人のために、手に取ってもらいたい一冊である。
■ MARO著『人生に悩んだから「聖書」に相談してみた』(KADOKAWA、2020年9月)
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