本書『聖書はもういらない』は、幻冬舎メディアコンサルティングから昨年11月に発刊された。そのストレートなタイトルに、聖書を「飯の種」としている私としては、足を止めて手に取ることしかできなかった。そして「まえがき」の数行を読んだだけで、「この本は買うべきだ」と思えた。それくらい、文章がリアリティーに満ちていた。そして同じく「教会生まれ、教会育ち」で、これまたかなり激烈なキリスト信仰者である親(私の場合は母親)によってしつけられた者として、この本は私にとってとても心に刺さる一冊であった。
従来の教会においては、こういった類の本は「禁書」扱いとなるはずである。特に福音主義を標榜する教会では、「聖書を否定するとは何事ぞ」という雰囲気は今でも十分感じられる。そのような雰囲気になじめず、この手のプレッシャーに耐えてきた者が大人になって(本書の著者の場合は大人になっても真剣に頑張っていた様子)、公開処刑的な復讐(ふくしゅう)をしたくなる、というのはよく分かる。
本書は、著者の野原花子さんが半世紀にわたる信仰生活の中で、ためにため込んできた鬱屈(うっくつ)とした思いを、一気に吐き出した「告白録」である。ここで語られている内容のリアリティーを理解しつつ、かつこれを受け止められる存在は、そう多くないだろう。正直、私にもそれができるという自信はないし、そんなことを著者は願っていないだろう。だが、真摯(しんし)に相手の話を聴こうとする姿勢を持つなら、本書は現在の日本のキリスト教界が耳を傾けるべきコンテンツが満載である。そして、信仰継承というプレッシャーにさいなまれ、「最近、子どもたちが何を考えているのかよく分からない」と本音では思いつつも、教会では笑顔で「クリスチャンらしく」歩むことにこなれてしまった人にとって、自らが与え得る家族や周囲への影響について、謙虚に考える機会を与えてくれるものとなろう。
本書は、4部構成となっている。しかしその比率は極端に偏っている。全体が200ページ余りであるが、第1部までが126ページと、全体の約6割を占める。そして第2部の著者の自分史が約30ページ、第3部の著者の現状報告が20数ページ、最後の第4部が残り10数ページである。
つまり、本書の半分以上が聖書の成り立ちや教え、そしてキリスト教の歴史をざっとひもといた第1部に割かれているのである。歴史的な事実や聖書解釈、そしてそれらの出来事に対する著者の感想が挿入され、叙述は進んでいく。このところまでは、正直読むに堪えない。なぜなら、あまりに偏った知識や解釈を「これが真理と伝えられてきました」と掲げ、「でもそんなことはありません。歴史を見てごらんなさい」とこき下ろすからである。
その論の張り方も稚拙なら、取り上げられているトピックスも決してアカデミックなものではなく、おおよそ伝聞や教会の「学び会」で各教派が護教的に取り上げた内容に対して突っ込んでいるだけである。だから第1部から何か新しい知識や教えを得ようと思ってはいけない。ここで捉えるべきは、「それくらい一生懸命に教会の教えを遵守し、その牧師や信徒仲間が教えの根拠としてきた『歴史的事実』(と人々が呼ぶ事柄)をうのみにしてきたか」ということである。その解釈や実践が、世の中の常識や社会通念からあまりにも乖離(かいり)していたことに著者は苦しんできた、ということである。野原さんの苦み、痛みを「そのまま」受け止めることが私たちにできることである。そして彼女の述懐の中に、確かに私も同じような思考を持ち、体験をしたな、と思わされることが頻出していた。
第2部以降は、著者が前面に出てきて、今まで苦しかったことや、つらかったことが語られていく。いわゆる「裏・お証し」のような内容である。これが基本、第4部まで続き、結論として「聖書はもういらない」となる。
本書は、信仰歴が長く、そして人知れず教会を去っていってしまった人が、なぜ、どうして、去らざるを得なかったのか、という中身を赤裸々に語っているといえよう。痛みが分かる半面、私は自分が「このような思考に陥らなかったのはなぜか」と深く沈思黙考することができた。
おそらく、野原さんを再び信仰の道へと「連れ戻す」ことはできないだろう。このような決断をするには、並々ならぬ苦労と葛藤があったであろうことは想像に難くない。だからこそ、私たちは真摯に本書に向き合うべきだ。そして相手の非を打つことなく(なぜなら、問題を指摘できるところは多くあるからだ。しかし、それが本書を紹介する目的ではない)、同じような思いをしながら、その思いを誰にも分かってもらえない、と感じている「忠実な信徒」がいることを知るべきである。
本書は、「聖書の必要性を説く立場」にある者として、私にとって忘れられない一冊になるだろう。だから「著者の叫びが私に向けられているとしたら」という視点で読むことができた。全国の牧師の方々には、ぜひ勇気を持って本書に向き合ってもらいたい。あなたの教会の信徒がこういうことを感じているとしたら、あなたは(そして私は)どう向き合うか――。そんなことを思わされたビターエンドな一冊である。
■ 野原花子著『聖書はもういらない』(幻冬舎、2020年11月)
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