私の人生における座右の銘がある。それは「文は人なり」である。私たちは生きていく中でさまざまな人と出会う。中にはとても濃い交流をするようになる人もいれば、一時期の付き合いでその後はほとんど思い出さない人もいる。いずれにせよ、自身にとっての「他者」との出会い、また、濃度の違いはあれどその交流によって人生は成り立っていく。その中で相手をどう評価するか、どのような人として認知し対応するか。これは常に私たちが無意識で行っている脳内作業である。
その時、私にとってこの「文は人なり」は一つの指針となっている。相手がどんな人なのか、それを知りたければ相手の書いた文章、または「語り」を聞くことで、おおよその部分は把握できる、と考えている。もちろんこれは常に修正とアップデートが加えられていくので、固定的な決めつけに陥ることがないよう、自分の側も問われ続けなければならないのは当たり前である。
このコロナ禍にあって、本のタイトルから中身に至るまで、圧倒的な熱量で読み手(すなわち私)に訴え掛けるビジネス書に出会った。こういう「一期一会」的な出会いがあるから、大型書店巡りはやめられない。著者は森岡毅氏。斜陽化しつつあったユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)を、わずか数年でV字回復させた立役者として一躍脚光を浴びたビジネスマンである。特にマーケティング戦略に関する著作が多く、よく売れている。現在は株式会社「刀」の代表取締役として、沖縄のテーマパーク建設に心血を注いでいるという。
その彼が、古くて新しいテーマ「リーダーシップ」について自らの手の内を開陳したのが本書である。かつて勤めていたP&G時代の苦労話や痛みを伴う自己変革の話、そしてUSJ時代にいかにしてリーダーシップを発揮できる環境を整えたかなど、リアリティーあふれる筆致となっている。特に本書で詳述し強調しているのは、「自分がどうやってリーダーシップを身に付けていけばよいか」というプロセスである。つまり彼は、リーダーシップとは先天的な才能や能力ではなく、むしろ誰でもおのおのの性質に合ったやり方で研鑽(けんさん)を積むことにより、伸ばしていける一つのスキルだ、と定義しているのである。以下、森岡氏は次のように語っている。
リーダーシップとは何か?について定義づけた書籍はごまんとありますが、自分がどうやってリーダーシップを身につけていけばよいのか?その道筋を明瞭に示した書籍は非常に少ないです。(中略)壮絶な火中で実際に苦心を積み上げてきた実務者が、本当に本人の言葉で書き綴(つづ)った書籍は極めて稀(まれ)です。(中略)本書の着眼点はそこにあります。(11ページ)
この視点は、キリスト教界においても当てはまる。率直に言って「キリスト教界ほどリーダーシップが誤解され、旧態依然としたシステムで動いている業界はない」からである。端的に言って「大きな会堂を持つ教会」「本が売れている牧師」「神学校や大学で教えている牧師」「海外留学経験のある牧師」がスゴイと見なされる世界である。するとどこか「そういう星の下に生まれた、持って生まれた才能を駆使している人」がリーダーシップを取っていくかのような錯覚を与えてしまう。
かつて平成初期(私はまだ一信徒だった)に、日本でとても有名になった牧師を私の所属教会に呼びたいという声が上がった。しかし、当時の教会役員たちは「あんな雲の上の先生をお呼びするなんて、到底できない」と口々に語っていたことを覚えている。その有名牧師は、上記条件をすべて満たす人だった。「それに比べ、自分たちの教会は・・・」という思考である。
本書は、リーダーシップを本音では先天的な個々人の能力や性格に求めがちな日本社会に対して「NO」を突き付ける勇気ある書である。そして、その適用範囲は、聖書を基準として歩んでいることを標榜する日本のキリスト教界をも覆うものであるといえる。全8章からなる本書の構成は、1章から3章までがいわゆるリーダーシップ論、4章から7章までがその具体的な適用(ここに森岡氏の体験談が加わる)である。そして8章が「危機時のリーダーシップ コロナ災厄から脱するために」となっている。この8章が最も熱い内容になっている。
コロナ禍で多くの人が「100」か「0」かという思考に陥っている、と森岡氏は語る。そして、その極端なかじ取りに対し、エンターテインメントのプロフェッショナルとして、はっきりとこう語っている。
日本人の頭の中には、“安全と聞いたら使命を放棄してよい” という思考回路が出来上がっているのです。そうやって、“安全の名を借りた安易” を批判することを完全に忘れた人々は、多くの企業が職業使命を放棄することを助長して、人々を怠惰にし、社会を劣化させます。(242ページ)
思考を止めず、何ができるのか、考えるのがプロの仕事です。(243ページ)
このコロナ禍において、多くのキリスト教会(「界」ではない)で、礼拝をどのように行うかが大きな課題となってきた。安易に「礼拝はしばらくお休み」と選択することはあまりないだろうが、常に「今の状況下で何ができるか」と考え意識し続けている人はどれくらいいるだろうか。また、ここが重要なポイントだが、そのように日々考え続けている人々の働きを、礼拝動画(オンデマンドやライブ配信)を享受している多くの人々はどう見ているのだろうか。「この程度でいいよ」と思考を止めることは簡単である。しかしいやしくも「クリスチャン」として、礼拝をその信仰の中核にある重要なファクターと見なしているのなら、それがどんな状況下にあっても「より良きもの」となるよう、日々研鑽を積むことは必須であろう。
おそらく森岡氏は、読者としてビジネスマンを想定している。しかし8章だけはその対象が日本全体へと拡大されていることに気付かされる。そこにはキリスト教界も個々のキリスト教会も含まれ得るはずである。読み終わって、次の聖書の言葉が思い浮かんだ。
あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。(新約聖書・ヤコブ1:5~6)
本書は信仰書ではない。しかし、ビジネスマンのみならず、日本のクリスチャンにとっても、決して忘れてはいけない事柄を一般的な表現で見事に言い表していると私は思う。コロナ禍で時間があるなら、ぜひ手に取って読んでもらいたい一冊である。
■ 森岡毅著『誰もが人を動かせる! あなたの人生を変えるリーダーシップ革命』(日経BP、2020年12月)
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