21世紀にアップデートされた「神の言葉」の効用がここに!
近年は「聖書翻訳」改変期である。昨年は新改訳聖書が改訂された。本年末には日本聖書協会が新共同訳の次世代版として「聖書協会共同訳」を発刊する。
多くの版が出版されることは喜ばしいことだ。米国は、聖書翻訳の多様性に関して日本のはるか先を行っている。筆者が出会った中で最も強烈だったのは「American Patriot’s Bible(アメリカ人愛国者のための聖書)」である。創世記や出エジプト記の出来事が、ピューリタンたちのメイフラワー号によるアメリカ大陸上陸と重ねられるコメントが加えられていたり、黙示録の預言をビリー・グラハム牧師の説教と重ねる教えが掲載されていたりと、なかなか楽しめた。翻訳は新欽定訳(NKJV)を基にしているが、当然ながら若干米国びいきに変更している(写真参照)。
いずれにせよ、聖書を字義通り、原典(実際には写本だが)に忠実に翻訳したいというのは信仰者の見果てぬ夢なのだろう。そして旧訳(旧約ではない)と新訳(新約ではない)を見比べて翻訳の違いを実感するというのもまた、一つの聖書の楽しみ方かもしれない。
一方、原典を忠実に翻訳する大切さを理解しながらも、それとは異なる方向で聖書の魅力を人々に伝えようとする考え方もある。原文の細かな意味にとらわれず、文脈の本質を分かりやすい現代的な言い回しで伝えようとするその考え方は、「リビングバイブル」という形で結実した。リビングバイブルは、1971年に米国の神学者、ケネス・テイラーによって作成された。全体の30パーセント程度が厳密な翻訳ではなく、意訳であるといわれている。後に日本語を含む他言語でも翻訳されている。ちなみに日本では82年にいのちのことば社が発刊している。後に日本版は93年、2016年と2回の改訂を行っている。
だが21世紀に入り、「聖書」はさらなる変化を遂げつつある。それが今回取り上げる『超訳聖書 生きる知恵』である。2010年頃からブームとなった「超訳 ○○の言葉」シリーズは、ニーチェ、ブッダ、イエスなど歴史的な賢人を取り上げながら、彼らの言葉(イエスの場合は福音書に登場するイエスが語った言葉)を、時には文脈を無視して抜き出し、それに解説を加えるというスタイルである。これがかなりヒットした。
そのため、賢人というイメージから発展し、歴史的な偉人や学者の言葉を同じく「超訳」する流れが生まれた。具体的には、アドラーや吉田松陰などである。
おそらくこの「超訳聖書」もその系譜に位置付けられるだろう。聖書の言葉を、世の中にあふれているさまざまな「知恵の泉」に投げ込むことで、逆にその本質を際立たせようという試みである。さまざまな批判を浴びることを承知の上で、あえてこれに取り組んだとしたら、編訳者の石井希尚(まれひさ)氏に拍手を送りたい。なぜなら、現代の若者たちに聖書を親しんでもらおうとするなら、やはりこの方向が最も有効だと実感するからである。
私は現在、大学生に向き合って講義をしている。同志社大学というキリスト教主義の大学であるためか、聖書やキリスト教を比較的ストレートに講義で取り上げる機会が多い。すると強く感じるのは、学生たちの興味関心を喚起できるかどうかは、扱う題材が彼らにいかに「リアリティー」を与えられるかだ、ということである。
そういった意味で、聖書は一番とっつきにくく、また一番分かりづらい。そんな印象を与えてしまうことを、私たちは素直に認めなければならない。本格的に神学を学ぼうとか、聖書に関心や敬意を抱いているという前提があるなら、従来の「字義通り」「文脈から」というやり方でいくべきだろう。だが、そういった機会が今までなかった人々を聖書に注目させるためにはどうしたらいいのか。それは彼らのリアリティーに触れる文言を提示する以外にはないだろう。
本書は、序章で「聖書とは、より良く生きるための知恵である」とはっきり公言している。「聖書=知恵」と明言することは、聖書の言葉に潜む「知恵以上のもの」を読者自身が発見するプロセスの第一歩となる。それは受け手(読者)が自分を現状から少しでも変化させてくれる可能性を、その言葉に見いだすことである。
本書はこの条件を見事にクリアしている。例えばこんな具合である。
すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢(みつぎ)を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。(ローマ13:7、新共同訳)
社会人としての責任を果たせ
誰に対しても、支払うべきものは支払いなさい。社会の一員として、なすべき当然の義務を果たしなさい。税金を支払い、重んじるべき人を重んじ、敬うべき人を敬いなさい。(本書56番目の言葉)
これを新卒採用の新入社員や就活中の大学生が聞いたらどうだろうか。自分の状況に響く言葉として受け止めようとするのではないだろうか。
聖書は神の言葉である。しかし印字された書物としての、文字としての聖書がそのまま神の言葉に変質するわけではない。言葉の中に込められた意味、意義が相手に伝わるとき、相手の心に変化を起こす。このプロセスにおいて、聖書は神の言葉「となる」のであろう。
その変化を楽しめるという意味で、聖書やキリスト教に興味関心を持たせる入門書として、本書は新たな地平を日本のキリスト教界に拓(ひら)く一助となるかもしれない。ぜひ手に取ってご覧いただきたい。
■ 石井希尚編訳『超訳聖書 生きる知恵』(2016年10月、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
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