景教碑の頭部には幾つかのデザインが刻まれています。前回に続いて、十字の下に彫られたデザインについて考えました。これについて佐伯好郎著『景教の研究』には蓮、蓮台と書かれています。このデザインは蓮なのでしょうか。
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断定はできませんが、おそらく7枝のメノーラー(ヘブライ語で燭台の意味)ではないかと考えます。中央の〇の両側には、それぞれ3個の果実の実のような楕円形が描かれています。両端には花のデザイン、これはアーモンドかオリーブのものなのか。
聖書には7枝のメノーラーの製作について旧約聖書出エジプト記25章31節からの箇所に、金の燭台を作り、両側にはアーモンドの花のデザインのものを付けるように書いてあります。一方でゼカリヤ書4章には、金の燭台の両側には2本のオリーブの木があったと書かれています。景教徒たちがこのことを覚えて聖書に書かれているものをデザインしたのであれば、神の臨在を常に覚えて宣教の働きをしていたのではと考えます。
次の写真は、メノーラーやそれに似たものを掲載しました。仏教の顕教や密教で似たようなデザインの蓮が見受けられるのも、何かの影響があったのではと考えます。
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※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教』
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