今年はパンデミックに始まり、波乱含みの米国大統領選挙に決着がつかぬまま年を終えようとしている。後々振り返ったとき、この2020年は決して忘れない年となるだろう。特にこの米国大統領選挙は、今後の世界の潮流を大きく左右しかねない世界史的な出来事となるに違いない。
投票日の11月3日、事前の世論調査を大きく覆して、破竹の勢いでオハイオ、フロリダ、テキサスを奪取したトランプ大統領は、激戦州のペンシルベニアやワイオミング、ミシガンでも数十万票のリードを保って初日を終えた。
トランプ大統領の支持者らは、この投票当日の晩は、勝利を確信してきっと深い眠りに就いたことだったろう。ところが一晩明けた11月4日、事態は一変した。
当初リードを保っていた激戦州が次々に覆され、バイデン候補の優勢に変わっていったのだ。この時、ツイッターなどのSNSを通じて、トランプを支持する多くのクリスチャンの間で、まるで示し合わせたかのように同じ言葉“God is in control(神が支配している)”が飛び交った。
順風が吹く時には、ともすると私たちは、人生の支配者は自分自身であるかのように錯覚する。しかし、人生に起きてくるさまざまな困難や逆境こそは、私たち自らが自分の人生の支配者であるなどとは、紛れもなく幻想にすぎないことを教える。
人生の谷間にそそり立つ手に負えない壁や、先の見えぬ明日への不安に直面するとき、私たちに平安を与え、もう一度立ち上がる勇気と困難に立ち向かう力を与えるものは一体何であろうか。
“God is in control”、そう、主権者なる神を信じる信仰こそが、まさにそれなのだ。神にとって“想定外”はないし、この方が支配していないものなど何一つない。たとえ私たちの髪の一本さえも、神の許しなしには決して失われることもないのだ。
トランプ大統領が再選するのかしないのか、人間にすぎない我々には、正確な未来を見通すことはできないだろう。明日何が起きるのか、実際には、その時になってみないと分からないことの方がはるかに多い。
しかし私たちはこのことを知っている。すなわち「私たちには分からなくても、神はご存じである」ということ、「私たちは支配者でなくとも、神が支配しておられる」ということ。しかもこの神は、私たちのために、独り子を十字架におかけになるほどに“愛”なのだ。
どうして神が最善以下のことをなさることなどあるだろう。私たちは見えるところによって生きているのではなく、見えない事柄を信じ、信仰によって生きているのだ。
今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草にすぎない我ら人間だが、時に悪が支配しているかのように見える世にあって、神はなおも愛であり、神こそがこの世界を支配しておられるのだと信じつつ、なお永遠を望んでいるのだ。
後のものを忘れ、新しい年に向かって手を伸ばし、希望をもって種を蒔(ま)こう。世界にあまねく福音が宣べ伝えられ、世界宣教が達成されることを求めつつ、再臨の主を待ち望もう。
この一年共に祈っていただき、心からの感謝を申し上げたい。マラナタ、主よ、来たりませ。