本紙で人気コラム「科学の本質を探る」を連載した阿部正紀・東京工業大学名誉教授(電子物性工学)が11月29日、ビデオ会議システム「ZOOM(ズーム)」で行われた「第1回オンライン・サイエンスカフェ」(インターナショナルVIPクラブ西落合・ルワンダ主催)で講演した。約30人の参加者を前に、「科学の根底にある前提と科学の限界」をテーマに語った。
阿部氏は、客観的なデータと合理的な理論のみに基づくと思われがちな自然科学も、実は証明できない前提に立っていることを紹介。また、中世の西欧では宗教的偏見によって自然科学が発達しなかったとする「中世暗黒説」が、なぜ専門家の間ではすでに撤回されているのかを説明した。
高校時代、「科学はあらゆる真理を明らかにすることができる」と疑わず、同級生のクリスチャンを捕まえては論争を仕掛けていたという阿部氏。ところが高校3年生の秋、人生について考え直すことがあり、教会の門をたたいた。大学に入って洗礼を受けてからは、科学と宗教の関係をセカンドライフワークとして学んできた。
中世暗黒説によれば、ルネサンス以前、中世の西欧では、キリスト教という宗教的偏見によって人々はデータ(事実)を見ることができず、また論理的、合理的に考えることができなかったので、自然科学が発達しなかった。だがルネサンスになり、宗教的な偏見や教会からの圧迫がなくなると、人々は自由に自然界の中に事実を見つけ、また論理的、合理的に考えるようになったので、自然科学は発達したとされる。
ところが、科学史家の研究により、実際はスコラ学者といわれる中世の神学者が近代科学の成立に貢献したことがすでに明らかになっている。13世紀には、最大のスコラ学者といわれるトマス・アクィナスが信仰と理性の衝突を避ける近代的な思想の枠組みを作ったとされる。また、同世紀にスコラ学者が数学と実験を結び付ける「実験科学」を提唱して実践したため、科学史家はこのようなスコラ学者を「近代科学の先駆者」と呼んでいる。さらに14世紀には、スコラ学者が「ガリレオの力学」の先駆的理論を作ったことも明らかにされており、専門家の中には、このスコラ学者たちを「ガリレオの先駆者」と呼ぶ者もいるという。
中世暗黒説は、科学史家の研究によって20世紀の初めには疑問視され、同世紀の半ばにはすでに撤回されている。しかし日本では、知識人を含め現在も多くの人が中世暗黒説を信じている。阿部氏が高校時代に科学万能主義を信じて疑わなかったのも、高校の世界史の授業で中世暗黒説を教えられたからだったという。阿部氏は、「学問レベルでは撤回されても、高齢の知識人が中世暗黒説をさかんに書いているので、若い人も信じるようになったのではないか」と分析する。
また、自然科学が立脚する前提は、1)法則が存在すること、2)同じ法則がどこでも成り立つこと、3)自然法則を理解できることだが、実はどの前提も科学で証明することはできないという。自然界にどこでも同じ法則が存在し、それを人間が理解できるという確信が近代科学の基本理念だが、その源流は、古代キリスト教会の教父が創造の教理から到達した思想にまでさかのぼれると論じた。
さらに、自然科学は物質的世界の中でも、実験や観測で確かめられて法則(数学)で記述できる現象だけを扱うため、精神的世界に属して自然法則を超越した原理に支配されている芸術や道徳、宗教などは扱えないと指摘。科学はあらゆるものを扱うことができ、あらゆる問題を解決できるという科学万能主義は「幻想」だと強調した。
「科学者は神を信じられますか」との質問に阿部氏は、「そのように考える人が多いのは日本に特有のことでしょう。科学と宗教が誕生した西欧では、それぞれの立場を認め合って、対立するものではないと考える人が多くいます。私は何とかこれを伝えたいと思っています」と答えた。また、科学と神学について「自然を十分に理解するために互いに補う知的活動」と見なし、相互補完主義に立つ最先端の神学「科学的神学」の見解を紹介。「両方の意見をよく聞いて事実はどうなのかを見極めることが大切で、私はこれを『見極め主義』と呼んでいます。『相互補完主義』と『見極め主義』の2つをこれからサイエンスカフェでやっていきたい」と話した。
次回以降も阿部氏が講師を務める。次回は「ビッグバン宇宙論の謎と科学の本質」をテーマに、来年春ごろオンラインで開催される予定。