先日、母が92歳の生涯を閉じました。忙しく働く父を支え、私たちをこよなく愛してくれた気丈で優しい母でした。母の召天に際し、神様が母の信仰を導いてくださった足跡をたどってみたいと思います。家族への福音宣教を願っておられる皆さんの参考になれば幸いです。
近隣に集える教会を備えてくださった
私は35年ほど前、前職場のあった静岡県で信仰を持ちました。当時、家族の中には誰も信者はいませんでした。
当初から宣教活動に導かれていましたが、関西に住む両親、特に母親には早く福音を伝えたいと願っていました。優しい母だけは、すぐに心を開いてくれるだろうと思い込んでいたからです。
しかし、多くの人が家族への宣教に困難を覚えるように、簡単な道のりではありませんでした。さらに、両親が高齢になってから転居した六甲アイランド(人口島)は、神戸市より、宗教施設の誘致が禁止されていましたので、将来にわたって宣教の道が閉ざされたように感じていました。
私は、両親の住むマンションに隣接するコンビニや学習塾などの外壁に手を置き、「母のために、この場所が奇跡的に教会堂に変わりますように・・・」と祈っていました。
それから何年かたった頃、母から驚くべき連絡が入りました。なんと宗教施設が誕生しないはずの六甲アイランドに教会が誕生し、自ら礼拝に参加してきたというのです。
神様の御業は、島内にあったノルウェー学校の中に教会を作るという方法で実現していました。そして、その学校が廃校になる際、住民の集っていた教会だけが島内に残り、以前私が手を置いて祈っていた商業施設エリアに移設してくることになりました。かつての祈りは、確かに神様に届いていました。
さらに、神様は成長した私の娘に信仰を与え、静岡から関西の大学に導き、母と娘が共に礼拝に通うようになったのです。家族のために祈り始めて15年ほどがたっていました。
信じることの難しさ
私は、母と娘が一緒に教会に集う様子から、これで母が信仰を持ち、洗礼を受け、やがて父をはじめ家族皆が信仰を持ってくれるものと期待していました。しかし、それも私の期待した通りには進みませんでした。
長年教会に集い、何度も福音に触れているにもかかわらず、母の心が開かれていないことに、私は焦りを感じていました。もちろん、信仰は外から見えるものではなく、実際は早くから信じていたのかもしれませんが、母にとって、障害になっていたことが2つあったように思います。
洗礼や信仰告白が求められるという誤解
信仰は、心の向きを神様に向けることですから、洗礼や信仰告白とは本来異なるものです。信仰の結果として導かれることはあっても、洗礼や信仰告白が信仰に必要なわけではありません。当然、救いの条件ではありません。
しかし、教会は人の集まりですから、お互いの信仰を確認するために、洗礼や信仰告白が用いられやすく、誤解が生まれやすいのでしょう。
母にとって、キリスト教になじみのない家族親族への気遣いから、自分の信仰を表現しないように努めていたように思います。私は、母の信仰心が自然に養われるよう、母の個人的な願いを共に祈る機会を頻繁に持つように努めました。
信仰を通し、恵みによって無条件に救われるとは思えない
母は実家が仏教に熱心な家庭だったこともあり、――信仰を通し、恵みによって無条件に救われる――という聖書の基本的なメッセージを理解するのに随分時間がかかりました。
もちろん、日本の仏教はキリスト教の影響を受け、信仰の対象や他力本願の大切さを説いていますが、人間の側の意識や姿勢を説いているだけで、聖書が伝えるような人知を超えた恵みの啓示はありません。
おそらく、真面目な日本人が陥りやすい傾向だと思いますが、特に気丈な母にとっては、自分の努力や頑張りが信仰を妨げているようには思えなかったのでしょう。神様を信頼してすべてを委ねようとはしませんでした。
ただ、私と共に祈る母の姿勢が少しずつ変化する様子に、増し加わる弱さを通し、神様が母を神様の子どもとして取り扱ってくださっていることを実感していました。
最期は神様にすべてを明け渡して・・・
そんな母を突然の体調不良が襲いました。それまでまったく症状がなく気付きませんでしたが、病院の検査結果は大変厳しいものでした。
私は、それらの検査結果を母に伝え、残された時間を大切に良い時間にしようと励まし続けました。母も、私との会話の中ではほほ笑んで頷き、いつもより心を込めて祈っていたように思います。天国の希望も語り合うことができました。
私は、まだ半年ほど残された時間があると考えていましたが、高齢になってからの検査や処置のための入院は、さらに母の体調を悪化させ、余命を短くしていきました。
最期は自宅でみとりたいと願っていた私たちは、病院の医師を説得し、周囲の助けを借りながら半ば強引に退院させ、みとりの態勢に入りました。
退院から約1カ月、入院中に生まれた曾孫との対面をはじめ、家族との温かい時間が流れました。それと同時に、急激に増し加わる体の弱さに、母の口を通して「なぜ、こんなことになるの?・・・」という心の痛みが聴こえてきました。
ただ手を取るしかできない私たちでしたが、神様は母の心に、すべてを委ねる信仰を求めておられたように思います。召される前日、私が母のそばで「主われを愛す~♬」を賛美すると、母は薄目を開いて聴いていました。
翌日の昼過ぎ、呼吸が乱れてきたので、手を取り、耳元で声に出して祈りました。「神様、あなたがすべての重荷を背負ってくださいました。ありがとう~アーメン」
私がアーメンと祈り終わった直後、母は自ら息を引き取ったように見えました。すべてを委ねて明け渡し、神様の懐に飛び込んでいったようでした。
3日後の葬儀には、母が通った六甲アイランド内の教会牧師が「復活と天国の約束」について、聖書から語ってくださいました。聖書の約束が、単なる教えではなく、歴史の事実に基づいていることをあらためて確認し、母との再会を強く期待するときになりました。
母の召天を通し、家族親族が皆救われることを、心より願ってやみません。
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