この「ナッシュビルからの愛に触れられて」の企画が始まって、間もなく50回を迎えようとしている。ひとえにこのような個人的な証しを継続して掲載してくれるクリスチャントゥデイのおかげ、そしてこれを楽しみに読み進めてくれている読者の皆さんのおかげである。心から御礼申し上げたい。
さて、このような連載を始めようと思った最初のきっかけは、2011年3月に私が学会発表のためにメンフィスへ出向いたからである。そのことは、この連載の第1回か2回あたりで述べた通りである。
しかし、どうしてメンフィスからナッシュビルへ向かったのか? それに大きく関わっている人物が存在する。彼がいなければ、おそらく私はナッシュビルへ行かなかっただろうし、クライストチャーチとの交わりも始まらなかっただろう。そして、今のように海外からゲストを招いて各地でゴスペルコンサートなどを企画することもなかっただろう。その人物とは、オアシスチャーチの主任牧師ダニー・チェンバース(Danny Chambers)氏である。2010年4月、彼と知り合いになっていたから、翌年3月にナッシュビルへ彼を訪ねていくことができたし、その後の展開も、彼が私をホームステイしてくれたからこそ生み出されたと言っても過言ではない。
そのダニー牧師が、先月9月61歳でその生涯を突然終えたとの連絡が入った。私はあまりの衝撃で、思わず手にしていた携帯を落としてしまった。ナッシュビルでオアシスチャーチというメガチャーチを牧会し、数年前からその働きを後進に譲り、神様から導かれた別の働きを模索していたとは聞いていた。しかし、こんなに早く主が「帰ってこい」と言われるとは…。
ダニー牧師は、牧師であることはもちろんのこと、シンガーとして成功したという一面を持っている。2011年に彼の教会を訪れたとき、まずCDを5、6枚手渡されたことを覚えている。彼の業績は、米国アマゾンを検索してみればよく分かる。そして YouTube にも多くの楽曲がアップされている。
全盛期には、パット・ロバートソンが主宰する「700クラブ」にも出演し、生で全米に歌声を響かせていたようだ。
そして何よりも印象深かったのは、どんな人にも気さくに声を掛け、そしてすぐに友達になってしまうフランクさである。かくいう私もそうやって彼と知り合いになり、友達になり、そして出会った翌年に厚かましくも「ナッシュビルへ行くから泊めてくれ」とお願いするほどまでに仲良くなれたのである。
本連載のタイトル「ナッシュビルからの愛」とは、もちろん本流はクライストチャーチのメンバーのことを意味している。しかしそのきっかけ、始まりという意味では、ダニー・チェンバース氏をおいて他にはあり得ない。米国南部の文化、食事、そして街並みなどを私に初めて紹介し、うんちくを丁寧に教え、そして大きなステーキをごちそうしてくれたのは、ダニー牧師である。
私はナッシュビルツアーを毎年のように行い、延べにして100人近い学生たちを音楽の街(ナッシュビル)へ連れて行った。その時、必ず立ち寄ったのがオアシスチャーチであり、ダニー牧師の家だった。彼はいつも喜んで迎えてくれ、そして今自分が取り組んでいることを熱心に語ってくれた。
「いつか日本に来て、あなたの歌声を響かせてください」といつもお伝えしていた。彼はうれしそうに目を細め、「きっと行くよ」と私をハグしてくれた。そのことを忘れることはできない。
彼から頂いたCDには、本人のサインが添えられている。そこに「To Japanese Friend, YASU」と書かれている。私にとっての一生の宝物である。
彼の訃報が届けられ、半月がたった。今私の心に去来する御言葉はこれである。
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。(2テモテ4:7、8)
今回は、とても私的な通信となってしまった。しかしこれは、単に私の感傷的な文章をつづったのではない。多くの献身者は、すべてを主にささげ、そして神から与えられた行程を走り続けている。そしてたとえ一瞬だけ出会った異国人であっても、その彼のために全力でできることをしてあげようと願う気持ちを持っている。そんな多くの心ある人々によって、日本にも福音が届けられ、有形無形の犠牲が払われ続けているのである。
私はダニー・チェンバース牧師のことを忘れない。そしてこの連載を読んでくださる多くの方々に、「一粒の麦」となってこの地の生涯を終えた地球の反対側で生きた信仰者(献身者)の人生を、どうか忘れないでいてもらいたいと切に願うものである。
以下が、彼のメモリアル礼拝で紹介された動画である。歌い手はもちろんダニー牧師。ぜひ、願わくは共に彼の死を悼んでもらいたい。天国に行ったという喜びはある。しかし、現実この地で二度と彼に会うことができないのだから、その悲しみは決して消えることはない。
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