「『Let It Go』を歌う。しかも日本語で」。そう聞いたときの私の衝撃は計り知れないものがあった。なぜなら、日本人でも歌詞が多く、カラオケで歌うのにも一苦労なのに、いくらシンガーとはいえアメリカ人に「日本語のレリゴー」がほんとに歌えるのだろうか?
そんな思いでツアーを開始した私たちだったが、それは杞憂であることが分かった。完璧な日本語だった。しかも情感も日本語の中にしっかりと感じられる歌い方であった。本人にそのことを尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「日本語の意味はまったく分からない。でも、送ってくれた YouTube の歌(日本語のレリゴー)を何十回も、何百回も聴いて、耳で抑揚をつかんだの」と。つまりヴァネッサは、歌詞の内容を踏まえて歌ったのではなく、日本人歌手(May J)の歌い回しのみを忠実に再現してみせた、ということなのだ。
今回のツアーの目玉は、日本側で結成したクワイアである。彼らは皆、かつてクライストチャーチが来日した際、彼らの音楽に触れている方々ばかりである。総勢20人ほどの急造クワイアは、指定された楽曲「For Every Mountain」を練習するため、京都、大阪、滋賀から集まり、一緒に練習の機会を何度か持ったという。しかし、基本は「自主練クワイア」である。集まってみないとどんな出来かは分からない。
その辺りをきちんとマネジメントしてくれたのが、友人のN君であった。彼はプロのピアニストでもあり、クライストチャーチに初めに目を留め、彼らの楽曲を私たちに紹介してくれた、いわば影の立役者であった。
彼の指導の下、急造クワイアはヴァネッサとのコラボを心待ちにしていたという。ツアー最後のステージは、そんなN君が通う滋賀の教会と、会場を提供してくださったAG教団の教会とのコラボ企画となっていた。
会場のキャパは60人ほどだが、吹き抜けの礼拝堂はさながら「小さなコンサートホール」であった。そこにあれよあれよと多くの方が集い始めたのは、コンサート開始の3時間前からだった。もちろんクワイアとして歌う方もおられた。だがほとんどが観客として来会した方で、しかもクリスチャンではない方も大勢おられたのだからびっくりである。
さて、コンサートはN君の伴奏とヴァネッサの歌声が見事にコラボし、この世のものとは思えない「音楽の供宴」となった。ヴァネッサは数曲歌うごとに何らかの証しを入れ、人々の気持ちを和ませると同時に、聖書の言葉から福音のメッセージをストレートに伝えようという配慮も見受けられた。やはり彼女は、ゴスペル(福音)を伝えるために来日しているのであり、決してお金もうけを主としたものではない。そのことを、毎回来日されるたびに強く教えられた。だからこうしてつながりを持てるし、またこちらも多くの汗をかいてでも、ナッシュビルのメンバーのために何かをしてあげたいと思わされるのだろう。
特にこの「安けさは川のごとく(It is Well)」は、単なる歌うたいではない、ゴスペルの使者であるヴァネッサ・マドックスの真骨頂を感じてもらえるだろう。
いよいよコンサートも大詰め。「日本語でのレリゴー」の番がやってきた。聴衆は「Let It Go」を歌うことは知っていても、ヴァネッサが日本語で歌うとは思っていない。そこが今回最大の仕掛けである。その時の様子はこちらの動画を見ていただきたい。日本語で歌い出したときの、観客のどよめきもしっかりと収録されている。
いかがであろうか? 多少イントネーションの違いはあれ、完璧な「日本語のレリゴー」ではないだろうか? この時のライブは、今でも語り草になっている。それくらい会場のボルテージは跳ね上がり、このままコンサートは終われないのでは?と思ったことを覚えている。
さて、彼女が今回のツアーの最後に歌うことを選んだのが「For Every Mountain」である。ゴスペルクワイアが必死に練習を重ねてきた曲であり、ゴスペルの定番の一曲でもある。私の勝手なイメージだが、のっしのっしと巨象が練り歩くような曲調で、最後のクライマックスは、神が備えてくださった一つ一つを愛おしく思いながら、山の頂を目指す信仰者の歩みを歌で表現していると言えよう。
N君が「ホ・エェェーブリ・マウンテン!」と地面から山の頂を目指して歌い上げるように指導していたことを思い出す。その練習の成果と、ヴァネッサの圧倒的な声量との化学反応が、次の動画に収められている。ぜひお聞きいただきたい。
コンサートは大盛況のうちに幕を閉じた。
翌日、私たちは関空までヴァネッサを送っていった。彼女が最後に食べたいと願ったのは、何とラーメン! どこまでも日本に慣れて、一緒に楽しもうと心掛けてくれる友人だと思わされた。来年は彼女の友人であるサム・メアジックさんと来日したい、と語ってくれた。それは事実、翌年に実現するのだが、そのことはまた後にレポートしたいと思う。
いずれにせよ、イースターの突然の来訪者は、疾風のようにやってきて、春の風のように過ぎ去っていったのである。素晴らしい感動を残して…。
◇