互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。(ヨハネ13:35)
「喜劇の王様」と呼ばれたチャーリー・チャップリンについて、こんなエピソードが残っています。
彼が休養のために、お忍びでモナコのモンテカルロに来ていたとき、町でチャップリンの「そっくりさんコンテスト」が開かれていました。茶目っ気たっぷりの彼は、参加者に紛れ込んでそのコンテストに参加しました。そして見事に第3位に入賞しました。
本物がそこにいるのに、誰も本物と見抜けない、そして偽物で満足している。今日、多くの人が霊的に飢え渇いています。ですから、スピリチュアルなものがあるとすぐに飛びつくのです。そして偽物で満足しているのです。
クリスチャンは「自分は本物の神を知っている、そしてこの神と共に人生を歩んでいる」と主張します。もしそうなら、そのことを誰の目にもハッキリと分かるように証明すべきです。
よくクリスチャンで「私を見ないでね。私を見るとつまずくからね。私を見ないで神様を見てね」と言う人がいます。しかし、神は見えません。神を信じているというあなたを通して、その神を想像するしかないのです。
あなたの周囲の人はあなたを見て、どんな神を想像するのでしょうか。
「あー神様って随分気が短いですね」「意地悪なんですね」「自己中なのね」
イエスは弟子たちに言われました。「あなた方が互いに愛し合う姿を見て、人々はあなた方がわたしの弟子であると認めるでしょう」。神は愛なる方です。だから私たちが愛に生きるとき、その生き方の中に人々は神を見ることができるのです。
2006年10月20日、米国ペンシルベニア州ランカスター郡ニッケルマインズにあるアーミッシュの子どもたちの通う小学校に、男が銃を持って乱入するという事件がありました。
「アーミッシュ」とは、18世紀に欧州での迫害を受け米国へ移住してきたプロテスタントの一派です。現代的な技術をできるだけ使わず、質素で謙虚な信仰生活を送っているグループです。
この事件の犯人チャールズ・カール・ロバーツは、女の子と女性教師5人を射殺した後、自分も銃で自殺しました。この事件の目撃者であるリターさんは事件の概要を次のように証言しています。
「人質にされた女の子の中で最年長の13歳のマリアン・フィッシャーは、年下の女の子たちを救おうと犯人に対して『私を撃って他の子たちは助けてください』と訴え、撃たれて亡くなりました。すると次に妹の12歳のバビーが前に出て『次は私にしてください』と要求し、彼女も撃たれましたが、幸いにも命は取り留めました。子どもたちはパニックになることもなく、平静さと勇敢さに満ちた態度でした。彼女たちは自分が殺されると分かっていても、年上の子は年下の子を救おうとしたのです」
この事件は米国中に大きな衝撃を与えましたが、それ以上に衝撃を与えたのは、事件の数時間後にマリアンとバビーの祖父が仲間に対して「自分たちの仲間がこのような悲劇に会ったけれど、心に恨みを抱いてはいけない。犯人の邪悪さや残酷さに怒りを覚えるかもしれないが、これを考え続けてはいけない。なぜなら、それに執着することは自分をさらに苦しめることになるから」と話し、その後犯人のロバーツの家を訪ね、彼の妻と3人の子どもたちにお悔やみを述べ、犯人に対して何の恨みも抱いていないこと、そして、犯人の家族の人々との和解を望んでいることを告げたのです。
そして11月5日に行われた葬儀に犯人の家族も招かれ、この席で彼らを支援する基金を創設したのです。この葬儀を担当した牧師は「この25年の中で最も感動した場面でした」と述べています。この葬儀に参列した人々の中に「自分もイエス・キリストを信じたい」と教会に通い始めた人々がたくさん起こされたのです。
なぜアーミッシュの人々は、こんな態度が取れたのでしょうか。彼らの日々の生活の中に、神の愛や神の赦(ゆる)しが豊かにあふれ流れていたので、この悲劇の中にあってもその姿勢は変わらなかったのです。人々はアーミッシュの人々のそうした生き方の中に神を見たのです。
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