我々の日常がコロナ禍によって大きく変わってしまったが、米国のカリフォルニア州で、キリスト教会の公同の礼拝をめぐって「国家の役割」と「信教の自由」に関する問題が発生している。
3月からCOVID−19の感染が一向に衰える気配のない米国だが、7月に入ると、感染活発化の兆候がカリフォルニア州の大都市ロサンゼルスでも見られ、州当局および知事は、教会の屋内礼拝の無期限中止命令を出した。その結果、教会は、少なくとも同州30の郡にまたがって屋内礼拝中止命令が発せられ、それを受け、当地の幾つかの教会が州と地方当局およびその首長を相手取り、礼拝禁止を差し止める訴訟に発展している。
そして、今その議論の渦中にあるのがLAのサンバレーにあるグレース・コミュニティー教会(GCC)だ。同教会は、著名な説教者のジョン・マッカーサー牧師を擁し、全米に影響力のある教会として知られている。GCC長老会は7月23日に、コロナ禍にある教会の集会に関する声明を出し、州政府はこの件で過剰に越権しているとし「我々教会はそれに跪(ひざまず)かない」と明言した。
続く3日後の日曜礼拝の説教でマッカーサー氏は、ダニエル書6章の、王以外のものへの祈願を禁止する勅令に背き、ダニエルが天の神に祈りをささげた箇所から説き、州の禁令にかかわらず「当教会は、信者が直接的に、教会に集う形での礼拝を続ける」旨を述べ、「――国ではなく――キリストこそが“教会の頭”なのだ」と語り、「全世界がパンデミックの恐怖に慄(おのの)いているのに、完全かつ最終的にその恐怖を取り除くために人々が行くことのできる唯一の場所である教会が閉鎖されている、私はこれ以上に悪いことを考えることができない」と訴えた。
マッカーサー氏は「感染拡大当初は何百万人も死ぬと言われていた。その時点で、自主的に直接的な礼拝を閉じ、ネット礼拝へと切り替えたのは、妥当かつ適切な判断だった。しかし、数カ月がたち、ウイルスが予想されたほど致命的ではないことが分かってきた。信者たちも、執行部が呼び掛けたわけでもないのに、自主的に徐々に礼拝に集い始め、ついに7千人が集うようになった。それでも当教会では一人の罹患者も入院者もない。カリフォルニア州の死亡率はわずか0・02%にすぎない。このウイルスで99・98%の人が死に至っていない。これは当初の憶測とまったく違う」と礼拝再開に踏み切った理由を述べ、「禁止令は(ブラック・ライブズ・マターなど人種問題の)抗議や暴動にはまったく適応されていない」と、教会を狙い撃ちにするかのような州当局の不公正なやり方にも言及した。
また氏は、教会は社会において、病院や学校、警察や裁判所と同等、あるいはそれ以上に“不可欠”だと強調した。
ジョン・マッカーサー牧師の、その堅固な教会観の表明に対して、トランプ大統領から直接電話があり、大統領がマッカーサー氏に感謝と同意を示したことを、氏はあるインタビューで明らかにした。
彼は大統領と短く電話を通じて話をし、「教会は、民主的な手法とはまったく別に、トランスジェンダーの問題や、政教分離、信仰の自由、中絶の問題、その他道徳的な事柄で、物事の民主的な決定プロセスと一線を画して、絶対に従えない事柄があるのです」と伝え、「すべての真実なクリスチャンはこの11月、(信教の自由を擁護し、中絶や同性結婚に立ち向かう)大統領、あなたに投票しますよ」と、トランプ大統領に励ましを伝えたという。
社会不安が増大する中、絶対的な希望が宣言される唯一の場所である教会の閉鎖命令がなされたが、マッカーサー氏は日曜礼拝の締めくくりに「普遍的教会はいつも迫害下で信仰が刷新される」と信者に語り、「これは恐ろしいことではなく、 教会が教会であるための勝利の時だ」と励まして説教を終えた。
米国という国は、まっすぐ聖書を信じる信仰の自由を求めて、欧州の国家的宗教権力の迫害から逃れてきた人々によって建国された国だ。故に「信教の自由」および「政教分離」の原則が、建国の理念として国家の揺るがぬ基盤となっている。政治による、強権的な教会への介入に対する強い反発は、彼らが歴史的に学んだ教訓に立脚しているからだ。
コロナ禍に乗じて、国家の権限が強化されている世界的傾向があり、この件に関しては信者間でも賛否両論飛び交っており、物事を見極めるのが困難だ。しかしまさに「光は闇の中に輝く」のだ。政府や軍、病院や警察、学校や裁判所以上に“Churches are Essential”(教会は不可欠)とは、「アーメン」とうなずくべき真理だ。
教会が教会として、不安に苛まれる世に対して真実の平安をもたらす福音の光を放ち続けることができるよう祈ろう。
■ 米国の宗教人口
プロテスタント35・3%
カトリック21・2%
正教会1・7%
ユダヤ教1・7%
イスラム1・6%
無神論者16・5%
仏教0・7%