わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。(エレミヤ書33:3)
ある神主さんとお話したとき、「日本の原始神道は自然の中で大きな岩や大木を拝む素朴な形態でした。今日のような社ができ、神道としての形態が整えられていったのは渡来人の影響も少なくないと思います」というようなことをおっしゃっていました。
ひと昔前までは、日本は古代イスラエルの影響を受けていたなどという話をすると、トンデモナイ説とか妄想の世界とか揶揄(やゆ)されていました。しかし、古墳の発掘跡からユダヤ人と思われる埴輪が発見されてからは情勢が変わってきています。また、DNAの分析から日本人と中近東の類似性が証明されています。イスラエルの言語学者の中には日本語とヘブル語の共通性を研究しておられる人もいらっしゃいます。最近は、日本国史学会の研究者がテルアビブの学会で古代ユダヤ人と日本の関わりについて講演し、外国の研究者も注目するようになっています。
イザナギ、イザナミも、スサノオノミコトもヤマトタケルもユダヤ人ですと言われても頭が混乱してきてとても受け入れることはできないかもしれません。日本最古の書物といわれる古事記の中にもヘブル語が含まれているとか、ユダヤの慣習が記載されているともいわれます。縄文、弥生時代から古代ユダヤ人が度々渡来し、高天原は渡来人の世界であり、神話として表現されているという見方もできるかもしれません。
日本の古代史を研究している方々は、渡来人は黒潮に乗って、偶然に漂着したのではなく、東の果ての日出る島国を目指して意図的に渡来したのは間違いないと断言しておられるのです。日本の神話の中に国譲りの話が出てきます。攻め上ったけれども、お互いの指導者同士がそれぞれ手にしているしるしを見せ合った結果、話し合いとなり、国譲りとなったというのです。そのしるしとは六芒星(ダビデの星)だったという話があります。
渡来人は言語能力に優れ、平仮名カタカナを生み出したといわれます。また、漢字を日本語に当てはめたのも彼らでした。アイウエオの中にもいろは歌の中にも彼らの残した暗号が隠されているといわれます。いろは歌の中には「イエス咎なくして死す」という言葉が残されているといわれます。
渡来人は土木工学にも優れていて古墳建設にも貢献しています。古墳は天皇や豪族の墓として土を盛られて造られたと思われていました。しかし、実際には、稲作が進み、水田を広げていく過程で、土地を削り、残土が出ます。また、水路を建設する過程でも残土が出ます。その残土を定められた所に集めていくと小山になります。そのまま放置すると大雨が降ったとき、崩れて被害が出てしまいますので整地しなければならないのですが、渡来人の土木技術が役に立ったのです。そして支配者層の墓として用いられることもあったのですが、水害の時に避難場所として用いられたこともあったのではないかといわれています。ある程度、水路が完成すると、残土は舟に乗せて海に運ばれるようになりますので、古墳は造られなくなりました。だから、古墳は一時期に集中していて古墳時代とも呼ばれています。
中央アジアの弓月国にいたユダヤ系の渡来人、秦氏が大挙して日本を訪れたときのことは日本書紀にも記されていますが、日本の建築、機織りなどに多大な影響をもたらします。日本最初の通貨、「和同開珎」はユダヤ系の多胡羊太夫によって鋳造されました。彼らは奈良の都や京都の建設にも寄与します。まほろばの里という表現がありますが、「まほろ」はヘブル語という説もあります。「素晴らしい」という意味だといわれます。ナラとは川という意味だともいわれます。また、京都は平安京と呼ばれますが、エルサレムという意味があるともいわれます。街の区画は景教の十字架の形になっているともいわれます。
渡来人たちは日本に大きな影響を及ぼしながらも日本に同化する道を選びます。宗教的には神道に溶け込みながら、仏教も保護していきます。民の集団としては神道に従い、個人の信仰としては仏教に生きるという神仏混合がこの頃から出てきます。八幡神社(ヤーハタ)はヤーウェ神社として、稲荷神社(INRI)はキリスト神社として始まったといわれますが、クリスチャンの立場からはとても受け入れられないことだと思います。
さらに古墳の発掘が行われ、古代史の研究が進むならば、考古学的な資料も出てきていろいろなことが明らかになってくるかもしれません。しかし、どうしても納得がいかないのは、どうして古代の渡来人は日本に同化吸収される道を選び、自らの宗教の痕跡や足跡を残さなかったのかということです。
日本にキリスト教宣教が大体的に試みられたのは3回あるといわれます。1回目はザビエルに代表されるキリシタン宣教です。2回目は明治維新開国を機にプロテスタントの宣教活動が始まります。3回目は、第二次大戦後、マッカーサー元帥の指令により米国の宣教師が大勢送り込まれます。しかし、多くの宣教師や日本の伝道者の働きがありながらも、総人口の1パーセントの枠を越えられないのです。ところが、あるアンケート調査ではキリスト教に好感を持っている日本人は70パーセントだというのです。決して嫌われているわけではないのに宣教が思うように進まないのはなぜでしょうか。私はそのカギは古代史にあるような気がします。
これは私の勝手な思い込みなのですが、神様が意図的に古代の先人たちの足跡を覆い隠されたのではないかと思います。西洋文明の中で培われてきたキリスト教はイスラム教と対峙してさまざまな軋轢(あつれき)や紛争が起きています。イスラム教ももともとはユダヤ教やキリスト教の影響を受けて生まれたものです。仏教もユダヤ教やキリスト教の影響を受けています。ソロモン時代にはインドとイスラエルの間で交易が盛んに行われ、ユダヤ人で財をなした人はインドに定住し、小さな王国を築いた人もいたようです。釈迦の父親もその一人ではないかという説もあります。やがて歴史の覆いが取り除かれるとき、日本にリバイバルが起こり、多くの日本人がクリスチャンとなり、和合の精神を持って世界の対立を解消する役目が与えられるかもしれないと夢想するのは私だけでしょうか。
「私たちの知らない、理解を越えた大いなる事」が起こることを信じています。
※古代日本とユダヤ人との関係に関する本コラムの内容は、あくまでも筆者の個人的な見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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