先日、私たちは結婚40周年を迎えました。コロナ禍の影響から、家族全員で祝うことはかないませんでしたが、再開した神戸港クルーズに乗船し、ささやかな記念の時を持ちました。長きにわたり、多くの方を通して与えられた祝福に心を留め、聖書に示された結婚の価値の確かさを知ることができました。
今回は、聖書から「結婚の誓い」について、神様の御旨を再確認したいと思います。
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。(創世記2章24節)
こういうわけで・・・とあるのは、この聖書箇所の直前に、女が男の助け手として、男のあばら骨から造られた経緯が示されているところを指しています。
また、新約聖書には、夫は妻を愛し、妻は夫に従うようにと、イエス・キリストと教会の関係を示して教えています。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。(エペソ人への手紙5章25節)
妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。(エペソ人への手紙5章22節)
夫にとって妻は、自分の体の一部(あばら骨)から造られ、キリストが教会(信者たち)を愛するように、命がけで愛すべき対象です。そして、妻にとって夫は、教会がキリストに従うように、従順に従うべき対象だと、聖書は告げています。
「結婚の誓い」の重要性
キリスト教結婚式では、牧師が2人の「結婚の誓い」を取り次ぎ、神様に祈るときが持たれます。「結婚の誓い」では、牧師は次のように新郎新婦に質問します。
「神の定めに従って、幸いなる時も、悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死が2人を分かつまで、愛し、慈しむことを誓いますか?」
この質問は平易な言葉の繰り返しで、新郎と新婦に同じ言葉で行われますが、聖書に従えば次のような意味になるのでしょう。
新郎に対しては、「どんな困難な状況でも、キリストが十字架にかかり命がけで教会を愛したように、あなたは妻を愛することを誓いますか?」そして新婦に対しては、「どんな困難な状況でも、キリストの命がけの愛に応え、あなたは、キリストに従うように夫に従うことを誓いますか?」というような内容になります。
この質問に対し、2人が「誓います!」と応答し、牧師が祝福の祈りを行い、結婚宣言へと進むわけですが、新郎新婦は神様の前で、聖霊の助けなしでは到底実現できない誓いをしていることになります。
夫の責任は非常に大きい
夫と妻になった2人には、「結婚の誓い」に沿った責任が与えられますが、比較すると夫の責任は妻に比べてとても大きなものになります。なぜなら、教会が誕生したのは、キリストが十字架にかかり、命がけの愛を示した後のことだからです。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。(ローマ人への手紙5章8節)
キリストが私たちを愛し、いのちを与えてくださったのは、私たちがキリストの存在すら知らない罪人だったときです。キリストの愛が先に示されたのですから、夫が妻を愛することは、妻の状況によらず先行されなければなりません。
まず、夫が「結婚の誓い」を宣言し続けたい!
日本の男性は、不器用で女性をリードできないとよくいわれます。私自身、そのような日本人男性の典型ですが、たとえ妻をリードできなくても、聖霊の助けにより、「結婚の誓い」のリーダーシップを取り続けたいものです。
幸いなことに「結婚の誓い」は、相手だけでなく自分の状況によらず、あらゆる時に行えるものですから、どんな逆境においても、まず神様の前に「結婚の誓い」を宣言する者でありたいと願っています。聖霊は私たちの内に住み、私たちの決心と宣言を必ず支えてくださるでしょう。結婚生活への祝福は、おのずと増し加えられてくるに違いありません。
40年を経て、私たちに残された結婚生活はそれほど長くはありませんが、天の御国に続く神様の御業を、今後とも体験させていただきたいと願っています。
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