立教大学の学生23人が今月初め、8日間の日程で米国を訪れ、同大創立者で日本聖公会初代主教のチャニング・ムーア・ウィリアムズ主教(1829~1910)の墓を訪問した。
訪米は、外務省の対日理解促進交流プログラム「カケハシ・プロジェクト」の一環。新型コロナウイルスの影響で出発直前にプログラムが大きく変更されるなどしたが、3月1日から8日にかけて、首都ワシントンとウィリアムズ主教の故郷で墓があるバージニア州リッチモンドを訪れた。
ウィリアムズ主教は米国聖公会の宣教師として、まだキリスト教が禁止されていた江戸時代末期の1859年に来日。その3年前から宣教師として中国に派遣されており、日米修好通商条約の発効を機に長崎港から入国した。74年には東京・築地に、聖書と英学を教える私塾「立教学校」を設立。これが後に立教大学となった。
非常な倹約家としても知られ、蓄えた財産の多くを日本各地の教会建設のために投じた。87年に米国聖公会と英国国教会が合同で日本聖公会を設立すると、初代主教となる。その後も老体に鞭打ちながら1908年に帰国するまで、約50年にわたって日本の宣教に尽力した。帰国から2年後、故郷リッチモンドで永眠。81歳だった。
ウィリアムズ主教の墓は、2人の米国大統領も眠るリッチモンドのハリウッド共同墓地にある。大きな十字架が立ち「BISHOP OF JAPAN(日本主教)」と刻まれた墓石のほか、日本聖公会の有志が贈った追慕碑もある。追慕碑には、日本宣教に生涯をささげたウィリアムズ主教を追悼する言葉とともに、「道ヲ傳ヘテ己ヲ傳ヘズ(道を伝えて己を伝えず)」という、主教の生きざまを言い表した言葉も刻まれている。