突然、写真のような一式が教会に届いた。
差出人は「ヒルソング」。「おぉ、あのヒルソングがわざわざオーストラリアから?」 一瞬そう思ったが、「そんなことあり得ない」とその思いを打ち消した。だが、まじまじと送られてきた品々を見ていくと、どうも最初のインスピレーションが正しかったらしい。オーストラリアから届けられたCDとスコアブックであった。
早速、CDを試聴してみた。なじみのあるサウンドと共に、とても「違和感」を感じさせる歌声が聞こえてきた。「違和感」を抱いた理由はすぐ分かった。歌声が「日本語」なのである。
CDに同封されていたライナーノートによると、「Hillsong Worship チームは教派を超えた、より大きな意味での『教会』と同じくらい多様な歌を生み出したい」(原文ママ)と願い、このCDを製作したということらしい。「このワーシップアルバムを通して、あらゆる世代の人に、主への信仰と愛情を宣言する歌を提供」することを目的としていると書かれている。
これらの言葉をそのまま受け取るなら、本当にありがたいプレゼントである。CDのみ、というのは試聴版としてよくあることだ。しかし、これにスコアブックが付いているところがすごい。さらに中をよく見てみると、バンド用とボーカル用の両方のスコアが付いている。楽譜が読めて、楽器を弾ける人たちが教会にいるなら、これらによって再現することが可能ということになる。しかも、(何度も言うが)プレゼントで!
ちなみにこのCDは、日本のアマゾンでも購入できるようである(ただし残念ながら、8月20日現在、在庫切れとなっている)。また収録曲は、Amazon Music や Apple Music、LINE MUSIC などの音楽ストリーミングサービスで配信されており、もちろん iTunes Store でも購入可能だ。これまた、セキュラーな世界に打って出ている感が強い。
実は、最近の日本のキリスト教音楽事情には、困った現象が起こりつつある。それは、外国で生み出された楽曲を勝手に日本語に訳して歌い直す、という現象である。賛美である以上、教会の役に立つのであれば、第三者の私がいちいち目くじらを立てて著作権や使用料などのことを言うつもりはない。しかし、実際には現実的にもっと困った事態が引き起こされ、それが拡大しつつある。それは、同じメロディーであるにもかかわらず、各教会、各教派教団によって、日本語訳がまちまちであるということである。
これは、楽曲を気に入った人たちが、それぞれ思い思いに訳して歌っていくのだから、ある意味当然の結果ともいえよう。しかし、これで困るのは、地域の諸教会が集まって合同集会をしようとしたり、教団教派を超えて大きな集会を企画したりするときである。歌詞が異なっていると、どうしても賛美に集中することができなくなってしまう。自分が知っている歌詞と、目の前に提示された歌詞との違いを、どうしても比べてしまう。つまるところ、賛美に乗れなくなってしまうのである。
私が中高生だった1980年代、そういった齟齬(そご)はあまり感じられなかった。というのも、日本全国のワーシップを束ね、一定のフォーマットを提供してくれる団体が存在していた(今も存在しています!)からである。言わずと知れた、小坂忠先生を中心とした「ミクタム」シリーズである。これはいわゆる、日本のキリスト教音楽界における「赤本」「青本」的存在である。これによって、福音派系、ペンテコステ派系教会であれば、ほぼ同じ歌詞で歌うことができていた。
だが今や、イスラエル・ホートンの「Friend of God」や「You Are Good」には、一体幾つの日本語バージョンが存在するのだろう?と思うほどである。行く先々で違いを実感する。もちろんノリノリの楽曲であるため、一定の演奏レベルがあるなら、簡単にメロディーラインは再現できるだろう。しかし、歌詞はその言葉を発しながら歌うことで、歌い手自身の信仰と響き合う部分がある。だとしたら、昔から慣れ親しんだ聖句を暗記して告白することで自身の信仰を確認するように、賛美の歌詞にも同じ効果が期待されることは、決して否定できない事実であろう。
ましてヒルソング系の楽曲は、若い世代に広く浸透している。彼らの多くは英語を理解し、それを日本語に訳してでも歌いたいと願う世代である。そんな折、ついに満を持して本家ヒルソングが日本語のCDを発表したのである。これでヒルソング系の賛美がフォーマット化されてくのだろうか? その先行きはまだ不透明である。もし統一化が行われるのであれば、かつてミクタム主催で行われた「ジェリコ・ジャパン」のような超教派的な大賛美集会が行われる可能性もあるだろう。しかしそうではなく、本家が出したCDであるにもかかわらず、これが「ワン・オブ・ゼム」となるなら、日本の賛美事情はさらに細分化の一途をたどることになるだろう。「一致した大集会」が必然的に難しくなるのではないだろうか。そういった意味で、ヒルソングによる今後の日本語CDのリリース動向を注目していきたい。
私は音楽に関してはまったくの素人であるので、この分野に関して「レビュー」なんて大それたことはいえないが、試聴した感想を最後に書かせていただく。
最初の数曲は、「歌う賛美」というより「聴かせる賛美」という印象を抱いた。曲の入り方から盛り上げ方まで、従来の聖歌やワーシップソングとは根本的に概念が異なっているように感じた。私よりも少し上の世代であれば、「一体どこから歌い出したらいいか分からない」ということになる。しかし一度曲が始まると、まるで巨象がのしのしと歩いて階段を上っていくような力強さがあり、サビの盛り上がりではフルバンドならではの高揚感を感じられる。
また、重要な歌詞は平易で、分かりやすさを主眼にしていることが感じられ、その点では申し分ない。しかし「聖句をそのまま」歌っていた60代以上の世代であるなら、そこに自身の信仰を込めて歌えばいいのか、告白すればいいのか分からない、ということにもなりかねない。やはりヒルソングの賛美は、「アンダー30」で市民権を得る楽曲なのかもしれない。
後半になるにつれ、EDMバリバリの曲調になる。私がこのCDを聴いているところに、ある若者が入って来て、開口一番「これって誰のCDですか?」と興味を示した。「クリスチャンのCDだよ」と答えると、飛び上がらんばかりに驚いていた。そして「こんな曲ばかりだったら、教会に行ってもいいっすね」と一言。やはりヒルソングは若者の心に「刺さる」ものらしい。
ライナーノートにあるように、「主への信仰と愛情を宣言する歌」として、このCDが用いられ、福音宣教の一助となることを心から願っている。
■ ヒルソング日本語「なんて麗しい名」
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