イスラエルのキネレット大学などのチームは、ガリラヤ湖付近で発見された教会跡が、イエス・キリストの弟子で兄弟のペトロとアンデレの自宅跡に建てられたと伝えられている教会の可能性が高いと発表した。
この発見をしたのは、キネレット大学と米ナイアック大学の古代ユダヤ教・キリスト教起源研究センターの合同チーム。同チームは2017年から、ガリラヤ湖北岸のエルアラジ遺跡で発掘を行ってきた。エルアラジ遺跡は、古代ユダヤ人の漁村で、イエスの最初の弟子となったペトロとアンデレ、フィリポの故郷であるベトサイダだと考えられている。
同チームはこれまでも、この教会の存在を示す証拠を幾つも提示してきた。例えば、ペトロ、アンデレ、フィリポらの遺骸を収めた可能性のある聖骨箱や、教会の内陣障壁に使われていた大理石の破片、「テッセラ」と呼ばれる金箔が張られたガラス製タイルなどだ。テッセラは教会壁のモザイクに使われる。
今回は新たに、モザイクが施された教会のものと見られる床が見つかった。その一部は保存状態が良好で、ナイアック大学のスティーブン・ノットリー教授は米フォックス・ニュース(英語)に対し、「これは注目に値することです。見事に装飾されたこの床は1500年近くも埋もれていたわけですが、ようやく日の目を見るのですから」と語った。
多くの学者がこの教会の存在に疑問を呈していたことから、今回の発見には大きな意味があるとノットリー氏は語る。
「(この教会の存在は)ビザンツ帝国時代の巡礼旅程で言及されていますが、多くの人はその報告は誤りだと考えていました。同じくらい重要なことですが、この教会が示すのは、ペトロとアンデレとフィリポの故郷ベトサイダ付近にキリスト教共同体があり、人々が暮らしていたということです」
歴史家らによれば、725年ごろにこの地域を訪れたドイツ・バイエルンの司教だった聖ヴィリバルト(700〜787)は、ベトサイダにある教会は、ペトロとアンデレの自宅跡に建てられていたと報告している。
新約聖書のマルコによる福音書8章22節~26節によると、ベトサイダはイエスが盲人を癒やした場所でもある。またルカによる福音書9章10節~17節には、5千人の給食が行われた場所としても描かれている。
キネレット大学のモルデカイ・アビアム教授によると、この教会は使徒時代から約500年後の5世紀に建てられたと考えられており、7世紀後半に廃墟となったという。
「私たちが発掘したのは教会の3分の1程度か、それより少ないくらいです。しかし、教会がここにあることは確かです」とアビアム氏はAFP通信に語った。「8世紀の訪問者が教会を(見たと)記した場所は、カペナウムとクルシの間に1カ所しかありません。私たちはそれを発見したのです。ですから、ここがその場所です」
同チームは、エルアラジ遺跡の主要な発掘現場から、ローマ帝国時代の家屋も発見した。
同遺跡は古代ユダヤ人の漁村と考えられているが、この地は、後にユダヤ総督ヘロデ・フィリッポスが都市国家として再建し、ユリアスと改名した都市でもある。考古学者らは、この都市が非常に広範囲に広がっていたと考えている(関連記事:イエスの弟子3人の故郷ベトサイダを発見か イスラエルの考古学チーム)。この他、典型的なユダヤ式の石造りの船やユダヤ式の石油ランプ、ローマ帝国時代の硬貨20枚余りや釣り用の鉛の重りも見つかった。
一方、ノットリー氏がイスラエルのハアレツ紙(英語)に語ったところでは、同チームはこの発見に自信を持っているが、碑文が見つからない限り、完全に証明することはできないという。「通常、ビザンツ帝国時代の教会からは碑文が見つかるものです。例えば、その教会は誰々の記念として建てられた(ものだという銘が刻まれています)」とノットリー氏は説明する。
ノットリー氏は、この教会跡全体を発掘する計画を立てており、今後の発掘作業によりさらに多くの事実が明らかになると考えている。