経歴も性格もまったく異なる6名の死刑囚の教誨師として、彼らの心に寄り添い聖書のみことばを通して彼らの心になんとか平安をもたらしたいという佐伯ではあったが、彼らと面会を繰り返していくうちに、次第に自分のしていることは一体なんだろうと疑問を持つようになっていきます。聖書のみことばは彼らの心をうわすべりするだけで、過去の罪に対する悔い改めを勧める言葉もキリストの十字架の福音もまったく彼らに通じないことを知って、教誨師佐伯は内面で葛藤します。これから死刑の執行を待っている人々に対して何をどうしたらよいというのか、語るべき言葉を失うのです。
そんな中で6名の死刑囚の中に一人の人のよさそうな年配のホームレスで進藤という人がいました。彼に佐伯は聖書のある箇所を読むことを勧めようとするのですが、進藤は読もうとしません。実は、進藤は字が読めなかったのです。それを知ってからは、佐伯は彼に文字を教え始めるのです。「あいうえお・・・」と一字ずつ教えていきます。彼も熱心に文字を覚えようとします。ひらがなを習っている間に、彼は佐伯に「自分でもクリスチャンになれますか」と聞くのです。佐伯は「もちろんです」と応え、彼と一緒に祈ります。そしてある日、彼に拘置所の面会室で水の洗礼を授けます。そんな中で進藤は、脳梗塞か何かの病で突然物を言うこともできなくなります。
そしてついに、その6名の中の一人に死刑執行の日が来ました。それは非常に頭のいい、自分の考えに強く固執していて人の話をまったく受け付けない若者でありました。佐伯は彼の死刑執行の場に立ち会うこととなりました。執行の直前に佐伯が聖書の一節を読もうとすると、彼は苦しそうに手で止めてくれと言うのです。若者は死の恐怖で言葉も出てこないのです。そして、絞首刑のための部屋のカーテンが刑務官によってさっと開けられました。若者の頭には黒い頭巾がすっぽりとかぶせられ、何も見えないようにされました。そして、その部屋には天上から絞首刑のためのロープがぶら下がっています。(つづく)
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