児童や保護者ら19人が殺傷された川崎市・登戸(のぼりと)の事件。スクールバスを待つ子どもたちを突然襲った惨劇に、全国的な注目が集まった。一方、その後の調べで、犯行後に自殺した容疑者の男が、長期のひきこもり状態にあったことも分かり、また別の関心を集めている。
このように社会問題ともなっている「ひきこもり」だが、そもそも「ひきこもり」とは何なのか。川崎市の事件が発生する約1週間前、東京・歌舞伎町のバーで「ひきこもりと哲学Bar」と題するイベントが開かれた。イベントで話をしたのは、テクスト言語学・歴史学が専門の溝田悟士氏(広島大学・学術博士)。ひきこもりに関する問題の第一人者である斎藤環(たまき)氏(筑波大学社会精神保健学分野教授)の過去のインタビューなどを基に、参加者と共に、ひきこもりとは何かを考えた。
「ひきこもり」と「ひきこもる」
ひきこもりは、海外でも「Hikikomori」と表記されるなど認知され、現在では誰もが聞いたことのある言葉となっている。日本で最初にこの問題を提起したのは斎藤氏だが、斎藤氏の造語というわけではない。米国精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル(第3版)』(DSMーIII)に、統合失調症やうつ病の精神状態の一つとして「Social Withdrawal(ソーシャル・ウィズドローアル)」という言葉があり、それを「社会的ひきこもり」と和訳したのが始まりだという。
Social Withdrawal のうち、「ひきこもり」の部分に相当する Withdrawal は、「引くこと」「引っ張ること」などの意味を持つ名詞だ。これの動詞は Withdraw で、日本語の「ひきこもり」も、本来は「ひきこもる」という動詞から派生した名詞だと分かる。
しかし「ひきこもり」という言葉が一般化された現代においては、「ひきこもり」という言葉に対して、ただの動詞である「ひきこもる」の名詞形以上の意味が加えられている。他者・外部と疎遠な状態にある「特殊な人」やその状態を意図する言葉となり、さらに一般的には「働いていない(人)」「社会の役に立っていない(人)」などの悪いイメージを伴う場合が多い。
溝田氏は、これを「特殊化」と呼ぶ。言葉が、本来の意味以上の意味を帯びるようになることで、良い面もあれば、悪い面もあるという。例えば、「ひきこもり」という言葉が生まれたことで、社会的援助を必要とする人々を特定化しやすくなったという肯定的な面がある。一方で否定的な面としては、「ひきこもり」という言葉が一人歩きしてしまい、悪いイメージが先行したり、孤独な状態に対して「積極的・生産的な意味付け」をさせにくくさせていたりする。
「ひきこもること」(「ひきこもり」の本来の意味)とは?
現代の「ひきこもり」は、動詞「ひきこもる」の名詞形としての意味以上の意味を伴うようになったが、本来の「ひきこもり」、つまり「ひきこもること」とはどういうことなのか。溝田氏はキリスト教に関わる2人の事例を紹介した。
一人は、新約聖書の27書のうち約半数を執筆し、初代キリスト教会の基礎を築いたとされる使徒パウロ。最初はキリスト教徒を迫害していた熱心なユダヤ教徒であったが、回心後には「わたしは直ちに、血肉に相談もせず、また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った」(ガラテヤ1:16~17、口語訳)と語っている。このうち「アラビヤに出て行った」という箇所については、さまざまな解釈があるものの、回心時のショックからしばらくの期間、一人でいたという意味であれば、「ひきこもり」だったといえる。
もう一人は、「登塔者シメオン」と呼ばれる4世紀の聖人。シメオンは、厳しく孤独な修道生活を送っていたが、さらに努力を重ねようと、高い塔を築きその上で絶えず祈るという生活を送った人物だ。「元祖ひきこもり」といえるような人だが、相談に乗ったり、病人のために祈ったりしており、溝田氏は、人々から尊敬されていた肯定的な面もあったと紹介した。
イベントは2部構成で、第2部はテーマにかかわらず自由な語らいの場となった。途中から参加する人も多く、人形劇を使ってひきこもり問題に取り組んでいるという社会福祉士の女性のほか、牧師やキリスト教出版関係者の姿もあった。参加者からは「『ひきこもり』を品詞から考えるというのは新鮮だった」「子どもの頃にひどいいじめに遭い、私の場合は『ひきこもらせられた』といえる」などという声があった。
川崎市の事件と「ひきこもり」の関係は?
川崎市の事件では、容疑者の男は、伯父夫妻と同居していたが、自室に閉じこもり、夫妻と顔を合わせることも、会話することもなかったという。訪問介護を検討していた夫妻は今年1月、相談していた市の勧めで、男の部屋の前に考えを尋ねる手紙を置いた。しかし返ってきたのは、「自分のことは自分でしているのに、ひきこもりとは何だ」という反発の言葉だった。悪いイメージの伴った「ひきこもり」という視線で見られるとき、当事者がそれを快く思わないことは容易に想像できる。
男は50代で、伯父夫妻は80代と、ひきこもりの中でも、いわゆる「8050(ハチマルゴーマル)問題」と呼ばれる事例と合致していたことも、関心を集める一因となった。8050問題とは、ひきこもりの長期化した子どもを持つ親が高齢化し、親子共に社会的に孤立してしまう問題。多くが80代の親と50代の子の間で起こるため、こう呼ばれている。内閣府の最新の調査によると、ひきこもりの状態にある中高年(40~64歳)は、全国に推計で61万3千人もいる。これは、15~39歳の推計54万1千人を上回る数で、その深刻さが分かる。
しかし、事件とひきこもりを安易に結び付けることは、特殊化された「ひきこもり」という言葉の負の面を助長してしまうことになりかねない。容疑者の男がひきこもりの状態にあったことが多数報道されていることを受け、ひきこもりの当事者や支援団体は、偏見につながるとして相次いで懸念の声明を発表した。
主催者の一人はひきこもり歴5年のクリスチャン
今回のイベントは、4月に開催した「暴力的『ひきこもり支援』施設反対バー」の後続企画。前回は、「ひきこもり支援」の名の下、当事者の合意なしに強制的に親元から離し、入所させる施設の問題点を取り上げた。反響が大きかったことから、2回目の企画として開催された。
主催者の一人は、自身も5年のひきこもり歴があるクリスチャン。現在はひきこもり支援の活動を行っている。生きづらさを抱えている人たちに、家庭(第1の場)でも職場(第2の場)でもない、第3の場としての「サードプレイス」を提供したいと、渋谷や歌舞伎町などで居場所づくりを目指している。
次回は「詩人がマスター!?ひきこもりBar」として、教会に通っていた経験もある元ひきこもりの詩人を招き、イベントバー「Kisi」(東京都新宿区歌舞伎町2-46-7 第3平沢ビル5F-B)で6月6日(木)午後6時半から開催される。