北朝鮮の元軍人である金龍華(キム・ヨンファ)氏は、処刑の危機に瀕したことで31年前に脱北した。しかし、それから真の自由を得るまでには、実に14年の月日を要した。常に北朝鮮への送還の危険にさらされ、中国、ベトナム、ラオス、韓国、日本と、アジア各国を巡り歩き、3カ国で9年以上も収監・収容生活を送った。そのような経験を持つ金龍華氏は、圧政から命懸けで逃亡する何千人もの脱北者が直面する苦難の数々を熟知している。
金龍華氏は、逃亡中に収監された刑務所で聖書に触れ、イエス・キリストの福音に出会った。今は韓国を拠点に「脱北難民人権連合」(韓国語)を運営し、中国でかつての自分と同じような状況に置かれている脱北者が、安全な道を見つけることができるよう支援している。
1953年に朝鮮戦争が休戦となって以来、北朝鮮から中国をはじめとするアジア各国を経由して韓国にたどり着いた脱北者は、3万2千人余りとされている。しかし今も中国には、本当の自由を求めてさまよう脱北者が23万人はいると推定されている。そうした脱北者たちは、北朝鮮に送還される危険の中にいる。多くの脱北者は韓国に最終的な避難を求めているが、その道のりは平坦ではない。
「私が経験したような悲劇が誰にも起こりませんように」。4月28日から5月4日にかけて開催された「北朝鮮自由週間」(英語)のために米ワシントンを訪問した金龍華氏は、クリスチャンポストにそう語った。
「不忠実」と言われて
通訳を介した約40分間のインタビューで金龍華氏は、北朝鮮の初代最高指導者、金日成(キム・イルソン)や共産主義体制に対する愛が、人生のある時点では神への愛を上回っていたと話す。
「もし金日成が死んでしまったら、自分も死ぬことになるだろうと思っていました。彼のためになら死ねる。それは幸せなことであり、喜ばしいことだと。北朝鮮では公式にイエスが認められていませんでしたから、当時の私にとって金日成の存在はイエスよりも上でした」
1953年、現在の平壌で生まれた金龍華氏は、17歳で朝鮮人民軍に入隊した。81年まで軍で車両の管理を担当していたが、同年、鉄道省に配属された。金龍華氏が担当となった第二軍用列車は、金日成一族と労働党の指揮下にあった。
ところが88年7月、施設の老朽化でロシア発北朝鮮行きの軍用列車が脱線事故を起こしてしまう。この事故のため、金龍華氏は北朝鮮政権から「不忠実」と見なされた。事故から31年が経過した今、金龍華氏は「不忠実と列車事故は無関係だ」と言い切る。「私は責任をなすりつけられ、処刑されることになりました」
金龍華氏は友人から処刑が差し迫っているとの情報を得た。政権に裏切られたと感じた金龍華氏は、家族を守る最善の方法は中国に行って自殺することだと確信した。
「北朝鮮政権による決定がなされたら、それを避けることはできません。仮に逃亡したとしても、やはり裏切り者だと見なされます。また、自殺をすることも不忠実で、家族への圧力につながる可能性があります。それで私は誰もいない所に行って、人知れず拳銃自殺したいと思ったのです」
金龍華氏は7月下旬、友人と共に中国国境の河川、鴨緑江を渡った。しかしそこで、韓国のラジオを聞いたことで人生が一変する。
金龍華氏は、朝鮮族の男性が聞いていたラジオを何気なく耳にした。ラジオは、北朝鮮から韓国へ亡命した金万鉄(キム・マンチュル)一族の有名な事件について放送していた。
脱北前、金龍華氏は北朝鮮で新聞を入手することができる立場にあった。その新聞によれば、金万鉄とその一族が逃亡の際に乗った小型船は、北朝鮮軍の発砲を受けて沈没したはずだった。
「北朝鮮の新聞にはそう書かれていました。私はそのニュースを読んだので、金万鉄は死んだと思っていました。しかし、彼がラジオに出ていましたので、韓国か北朝鮮が偽装したか、うそをついたことになります。それで私は少し混乱しました」
ラジオを初めから終わりまで聴いた金龍華氏は、北朝鮮政権に「だまされた」ことに気付いたという。「それで私は韓国に行き、私の心にある真実を知らせたいと思ったのです」
危うく本国送還
中国人の友人と別れた金龍華氏は、徒歩で約1万8千キロを移動し、ベトナムに到着した。銃と朝鮮労働党の身分証明書を所持し、首都ハノイにある韓国大使館に向かった。しかしベトナムに入国する過程で警察と銃撃戦となり、「指名手配リスト」に載せられたため、韓国大使館からは支援できないと告げられた。
金龍華氏はその後、韓国の商業船が停泊する港湾都市ハイフォンに行き、ひそかに船に忍び込もうとするが、見つかり拘束された。
「北朝鮮大使館から大使館員が来て私を確認し、私の身元を特定しました。本国へ送還されるまで3日しかありませんでした。それで私は食事用のトレーを手に取ってベトナムの警官に襲い掛かり、警官を殴り倒しました」
金龍華氏はこの暴行により、ベトナムで懲役2年の実刑を受けた。彼が通訳を通じてキリスト教に触れたのは、この時のことだった。
「通訳が聖書をくれたので、それを読むようになりました。いつも一人でしたが、それにより口頭でコミュニケーションを取り、つぶやくことのできる相手ができました。神に救いを求めました。数年の間、話す相手がいませんでしたが、その(神との)会話は助けになりました。実を言うと、私はその間、神をたくさん呪いました。しかし、同時に助けを求めて叫んでもいました」
金龍華氏のキリスト教信仰は、その状況の故に最初は独学によるものだった。しかし、後にはカトリックの司祭に指導を受け、今は福音派の信仰に立っている。
ベトナムの刑務所で約1年9カ月を過ごし、本国に送還される前に脱獄に成功。再び韓国大使館に行き、そこで囚人服を着替え、少しばかりの経済的な支援を受けることができた。
それからラオスを旅した金龍華氏は1992年、カジノで警察に一時拘束される。その後の1年余りはラオスで過ごし、再び逃亡して中国へ向かった。そして中国で小型船を手に入れ、それを使って95年に韓国に渡った。
スパイの汚名
やっとの思いで韓国に到着したが、待っていた現実は残酷なものだった。北朝鮮のスパイと疑われ、懲役3年を命じられ、再び刑務所生活を強いられる。もし陸路で韓国に向かって捕らえられていれば、状況ははるかに良かっただろうと金龍華氏は言う。しかし海路で北朝鮮から渡って来たために、スパイだと疑われた。韓国の刑務所で2年間過ごした金龍華氏は体調を崩し97年、ついに自由の身となる。
出所後、韓国政府を相手取り訴訟を起こした。しかし、当時の金大中(キム・デジュン)大統領の勧めで、訴訟を取り下げる。「訴訟を取り下げると、政府は再び私を逮捕しようともくろみました。このように政府は約束を守りませんでした」
強制退去命令を受けた金龍華氏は98年、再び小型船を入手し、今度は日本に向かう。しかし、日本政府からもスパイと見なされ、約2年間にわたり入国管理センターに収容される。
「合計9年の収監・収容生活を送りましたが、それぞれの国の支援者が私を支えてくれました。私の事情を知るさまざまな国の方々が、多くの愛と生きる力を与えてくれました」
「受けた分だけ与えたい」
金龍華氏は入国管理センターを仮放免され、約1年はセンター外に居住することができたが、2001年に韓国に戻る。そして02年には脱北者と認められ、韓国国籍を取得。05年に脱北難民人権連合を正式に立ち上げた。
脱北難民人権連合は、中国にいる脱北者が韓国に逃れられるよう支援している。また、韓国にいる脱北者が韓国に定住するための支援も行っている。
「中国にいる脱北者たちは動物のような暮らしをしています。まさに獣のように物乞いをしながら生きているのです」
金龍華氏が脱北難民人権連合を立ち上げたのは、韓国の江原道(カンウォンド)で女性の脱北者が死亡したことがきっかけだった。
北朝鮮の金正恩政権に肩入れする韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権の方針は、脱北者たちが韓国に来ることを困難にしている。米北朝鮮人権問題担当特使を務めた経験のある米民間シンクタンク「戦略国際問題研究所」のロバート・キング氏が指摘するように、北朝鮮をめぐる問題には「優先順位の移り変わり」があり、現在は脱北者支援や北朝鮮の人権問題に対する関心は薄らぎ、南北間の協力がますます注目を集めている。
また、韓国の脱北者からの情報によると、北朝鮮政権を批判しないよう圧力があるという。
「韓国には動物に対する保護法があります。犬は尊厳をもって守られています。しかし、脱北者や10代の若者、未成年者たちは保護されていません」。金龍華氏はそう言い、脱北者の保護のために声を上げるよう、国際社会に求めた。
脱北難民人権連合は、先月中国で拘束された脱北者7人の釈放も訴えている。北朝鮮に送還される恐れがあるためだ。「もし送還されれば、彼らは政治犯収容所で処刑される運命です」と金龍華氏は警鐘を鳴らす。
「韓国の現政権は外務相を通じて中国政府に協力を求めてきましたが、韓国政府は脱北者たちが北朝鮮に送還されてから確認すると言っています。その理由は、将来的に金正恩と会談することを期待しているからだと思われます。彼らは、今は何もできないことが分かっているのでしょう。私は、韓国政府が今、何もしていないと確信しています」
金龍華氏の14年間の逃亡生活を記した手記は、日本でも『北朝鮮から逃げ抜いた私』(毎日新聞社、2002年)、『ある北朝鮮難民の告白』(窓社、03年)として出版されている。