フィギュアスケートの羽生結弦選手(24)が、12日に掲載されたインタビュー記事で、聖書の一節とみられる内容を引用し、「よく言われる『試練は乗り越えられる者にしか与えられない』という感覚は、自分の中にあります」などと語った。また、12日に白血病を公表した競泳女子日本代表の池江璃花子選手(18)も13日、ツイッターとインスタグラムに投稿した文章で「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」とつづった。
羽生選手のインタビュー記事を掲載したのは、日用品メーカーのP&Gが運営する女性向けサイト「マイレピ」。マイレピでは羽生選手の連続インタビュー記事を掲載しており、「『逆境』を力に変える」と題した30回目の記事での発言。徳間書店が運営する女性向けサイト「アサジョ」もこれを受け、羽生選手が聖書の一節を引用したと伝えている。
一方、池江選手は白血病公表後、多くの人からメッセージをもらったと感謝を示し、「私にとって競泳人生は大切なものです。ですが今は、完治を目指し、焦らず、周りの方々に支えていただきながら戦っていきたいと思います」と、治療に専念すると述べている。
羽生選手が引用した「試練は乗り越えられる者にしか与えられない」や、池江選手の「神様は乗り越えられない試練は与えない」は、新約聖書の言葉「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(コリント一10章13節)に基づくものだとみられる。
この箇所は、TBSの人気ドラマ「JIN〜仁」でも「神は乗り越えられる試練しか与えない」と何度も登場したことがある。羽生選手が引用前に「よく言われる」と話しているように、聖書の言葉と知ってか知らずか、どこかで聞いたものを自分の言葉で表現したのかもしれない。
一方、ここで言われている「試練」という言葉は、日本語では「逆境」や「苦難」といったニュアンスで捉えられる場合が多いが、原語のギリシャ語「ペイラスモス」は「試み」や「誘惑」とも訳せる言葉だ。またこの箇所は、主に偶像礼拝に対する警告が書かれているところで、13節の後には「わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい」(14節)と続く。
そのため、13節で触れられている「試練」は、一般的にイメージされる「逆境」や「苦難」よりも、偶像礼拝やみだらなこと、神を試みること、不平を言うこと(8〜10節)との戦いという、信仰上の「試練」と捉えた方がよいのかもしれない。
ちなみに、イエス・キリストが荒野で40日間断食し、悪魔から誘惑を受けたとされる新約聖書の別の箇所(マタイ4章1〜11節)で、「誘惑」と訳されている言葉も、ペイラスモスの語源となる言葉だ。また「主の祈り」の「われらを試みに会わせず」の「試み」もペイラスモスが使われている。
キリスト教人口が全人口の1パーセントといわれる日本だが、他にも聖書に由来する言葉で定着しているものが多くある。「目からうろこ」や「豚に真珠」「砂上の楼閣」「狭き門」などがその代表例だ。この他、キリスト教に関わる言葉が、元来の意味から離れて使われている例もある。ある分野や社会に入るために必須の経験をするとき「〜の洗礼を受ける」と表現したり、3本柱の改革政策を「三位一体の改革」と表現したりする使い方だ。
羽生選手や池江選手が、聖書の一節と意識して語ったかどうかは定かではないが、聖書の言葉は、日本人の思考や日常に想像以上に浸透しているのかもしれない。