神学校での授業中。教えていたS牧師がどういう話の流れか忘れたが、いきなり賛美を歌い出した。
「たたえよ 栄光の神の
すべてに 勝るうるわしさ
とこしえまで 御座に立つ主~♪」
すると突然、S牧師は大きな声で「この歌詞は間違っている!!!」と叫び出した。
前回紹介した「妻がブチギレる」のこともあり、「オメ~もかい!」と心の中で大きなツッコミを入れてしまう。
S牧師の話によると、主であるイエス様が「永久に御座に立つ」という聖書箇所はないそうだ。
また「椅子(座)は昔から権力を表している。そして普通、椅子は座るものです」と。
それは、王の王であられるイエス様も同じ。聖書は、主が「御座に着座されている」と語っている。
主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。(詩篇29:10)
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ1:20〜21)
また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。(黙示録20:11)
確かに、永久に御座に立たなければいけないのであれば、イエス様も立ちっぱなしで疲れるでしょう・・・。
だが、S牧師の話はここで終わりではない。「御座に着座されたイエス様が、新約聖書でただ一度立たれたことが記されている」と切り出す。
果たしてその聖書箇所はどこか。答えは次回お伝えします。
<聖書のみことば>
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(ヘブル12:2)
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箕輪勇気(みのわ・ゆうき)
1981年名古屋市生まれ。2002年受洗。05年から4年間、神学校(信徒向けコース)で学び、現在は社会人として働きながら妻と共に一般信徒として教会に仕える。2児の父。