聖書は「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(へブル11:1)と語っている。「目に見えないものを確信させる」って何だろう?
多分こういうことだと思う。私が今、財布の中に1万円あると言ったら、皆さんは信じるだろうか。
「1万円くらいは持っているのでは?」と信じる人もいれば、信じない人もいるだろう。
では、財布の中に100万円入っていると言ったら信じるだろか。おそらく、いや、絶対に信じないだろう。
でも本当にあるかどうかなんて「見なくては分からない」はずだ。実際に私は結婚式の時には100万円以上の大金を現金で持っていたことがある。でも、その100万円を見て確認してから、「100万円持っている!」と言ったところで何の意味もない。それは当たり前のこどた。
信仰も同じで、それが本当だと、見てから、確認してから信じることではない。
「信仰」は「信頼」「信用」と同じ意味だと思う。神様を信じたら、何でもかんでも良いことばかりが起こるわけではない。時に不安や恐れを抱くこともある。「私はこれからどうなるの?」と。
でも、神様は必ず私を守ってくれる。今は分からないけど、神様が共にいてくれるから大丈夫というのが、「神様との信頼関係」つまり「信仰」なんだろう。そしてそれが、証しになっていくんだろうね。
<聖書のみことば>
「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました」(ローマ4:18)
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箕輪勇気(みのわ・ゆうき)
1981年名古屋市生まれ。2002年受洗。05年から4年間、神学校(信徒向けコース)で学び、現在は社会人として働きながら妻と共に一般信徒として教会に仕える。2児の父。