キャラのせいか、よく子どもたちにいじられる(ちなみに私は、教会で教会学校の奉仕をさせてもらっている)。
少しなら笑っていられるが、子どもは限度というものを知らん! 時に、な●ってやろうかと本気で思うときもあるが、その後の社会的な問題を気にして実行はしていない。
肝心の聖書の話の時も、私の話がつまらないのか?よそ見ばかり・・・。かなりへこみます。教会学校はもう辞めますと、何度辞表を出そうと思ったことか。
しかし、聖書の神様は「寛容」の神様だという。「寛容」という言葉の意味は、心が広く、よく人の言動を受け入れ、他人の罪や欠点などを責めない、などくらいに思っていたが、ギリシャ語では、その人の未来を見るという意味があるらしい(新約聖書の原典はギリシャ語で書かれている)。
今はダメでも、その人の未来性を信じてあげることが、「寛容」であるということ。そんな神様のような寛容な人になりたくて、今日も子どもたちの未来性を信じ、いじめに耐えています(笑)。
<聖書のみことば>
「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい」(コロサイ3:12)
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箕輪勇気(みのわ・ゆうき)
1981年名古屋市生まれ。2002年受洗。05年から4年間、神学校(信徒向けコース)で学び、現在は社会人として働きながら妻と共に一般信徒として教会に仕える。2児の父。