「神の裁き」と聞くと、日本の皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか。「天罰」みたいな感じでしょうか。
でも、聖書の言う「裁き」は「天罰」という意味とは少し違います。聖書の「裁き」とは「分ける」という意味です。例えば「魚をさばく」と言いますが、これは魚の身と骨を分ける(さばく)という意味です。
「裁き」について、聖書には面白いことが書かれています。神様に向かって「わたしを裁いてください」(詩編54:3、新共同訳)と祈る箇所があるのです。これはどういう意味でしょうか。
ところで、冤罪で捕まることはいやですよね。ある弁護士が、冗談半分にこのようなアドバイスをしていたのを聞いたことがあります。電車に乗っていて痴漢と間違えられたら、すぐに逃げた方がいいと。
う~ん。本当にやっていないのなら話せば分かってくれそうですが・・・。でも、映画「それでもボクはやっていない」(電車で痴漢に間違えられた主人公が裁判で自分の無実を訴える映画)を見ると、それも難しそうです。
そもそも痴漢の場合、裁判で無罪を勝ち取ることは難しい。仮に無罪を勝ち取っても、お金や時間はもちろんのこと、仕事も失ってしまう・・・。だがら「すぐに逃げた方がいい」というアドバイスが出てくるのかもしれません。
でも神様があなたの無罪を主張してくれるならどうだろう。神様があなたの味方なのです! 「わたしを裁いてください」という祈りは、別の翻訳(新改訳)では「私を弁護してください」と訳されている。
裁判を行うには弁護人の助けが必要だけど、その弁護人が神様なら最強!「神の裁き」というのは、神様が弁護人になってくれるクリスチャンにとっては良いものなのです。
<聖書のみことば>
「そこで、イエスは言われた。『わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです』」(ヨハネ9:39)
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)
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箕輪勇気(みのわ・ゆうき)
1981年名古屋市生まれ。2002年受洗。05年から4年間、神学校(信徒向けコース)で学び、現在は社会人として働きながら妻と共に一般信徒として教会に仕える。2児の父。