これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。サライは不妊の女で、子どもがなかった。テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻であるサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。テラの一生は二百五年であった。テラはハランで死んだ。(創世記11:27~32)
歴史書は必ずしも真実を伝えているとは限らないといわれます。後世の権力者によって都合がいいように捏造され、書き換えられることもあります。出土する考古学の資料によって一遍に歴史が塗り替えられるということは珍しいことではありません。しかし、聖書は淡々と事実を伝えていますので、安心して読むことができます。また、歴史の検証に用いられることもあります。
イスラエル南部のネゲブ砂漠にあった遺跡の中に古い教会堂があり、壁画の中にイエス像と思われるものが描かれているのが発見されたというニュースを見るとワクワクしてしまうのは私だけでしょうか。その中に描かれているのは、私たちがいままで描いていたイエスとはまるで違うものだといわれます。頭は縮れ毛で細面、身長は166センチだといわれます。中近東のイラク人に近いイメージと表現されます。イエスの頭の毛は黒く、目は茶色だったという説もあります。イエスは映画に登場する欧州系の顔ではなく、アジア系の顔だったと思います。これはテラの歴史とも関わりがあります。
メソポタミア文明以前にシュメール文明がありました。シュメール文明はメソポタミアやエジプトよりも古く、人類文明の黎明(れいめい)期ともいわれます。天文学、数学、法学、医学に優れていて、楔形文字を発明し、食べ物のパンの製造も始めたといわれています。非常に高い文明を持ち、平和を好む民族であったともいわれます。しかし、鉄の兵器を持つ、好戦的なヒッタイトが登場すると破壊されてしまいます。
シュメール文明が滅ぼされ、ハムラビ王がシュメール文明を引き継ぐようにメソポタミア文明を築き、ハムラビ法典を完成させていきます。ウルで平和な生活を営んでいたテラ一族は戦乱に巻き込まれたのではないかと推測できます。その混乱の中で息子ハランは犠牲となったと思ってもおかしくないのではないでしょうか。
戦争による混乱の中でテラはほとんどの財産を失ってしまったのではないかと思います。すべてを失い、どん底に立たされた時は、神の使命を新しく受け、旅立ちの時にもなります。文明都市ウルを出て、当時は未開の地と思われたカナンの地に行くように示されたのではないかと思います。しかし、テラは途中のカランに定住し、そこで生涯を終えてしまいます。
アブラハムが後継者となり、約束の地を目指します。アブラハムはテラの成し得なかったことを完成し、信仰の父と呼ばれるようになります。アブラハムは世界のすべての宗教の基礎となります。
テラはシュメール人だったと言っても間違いではないと思います。残された壁画などから推測されるシュメール人の姿は、中近東の人々や日本人に近いイメージだといわれます。本来のユダヤ人はシュメール系ですので、アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、ソロモンとアジア系の風貌だったと推測していいと思います。だから、ネゲブの遺跡からイエスの風貌が分かっても驚きよりも当たり前と思ってしまいます。
北王国イスラエルはアッシリア捕囚となり、行方不明になってしまいました。失われた10部族として世界の七不思議ともいわれています。しかし、これは西欧の歴史書サイドから見た見方だと思います。故郷を追われた北王国イスラエルの人々はほとんどが西ではなく東へ逃げていきました。だから西の国々には情報が伝わらず、長い間、行方不明扱いになったのではないかと思います。一部はユダヤ人に好意的であったペルシアに定住する人もいました。また、インドまで行った人々もあるといわれます。ダビデやソロモン以前からインドにはユダヤ人町があり、イスラエルとの交流があったといわれます。
また、一部の人はシルクロード沿いに進み、中央アジアのキルギスのあたりに住みつき、後に弓月(ゆずき)の国を築くようになります。ユズというのはユダヤ人のことで弓月の名称になったといわれます。また弓月にはヤマトゥーという名前の地名や山があったといわれます。ヤマトゥーとは中近東でイスラエル人という意味だったといわれます。
縄文時代の人々とシュメールとの交流はあったと私は思います。日本の各地でシュメールの楔形文字が記されたペトログラフが発見されています。東の果てにある日出る国のことをシュメール人が知っていて、その情報をユダヤ人も受け継いでいたと思っていいのではないでしょうか。そして憧れの東の国を目指し、ヤマトの国を興しても不思議ではありません。
私たちは社会の混乱に巻き込まれ、迫害や苦境という荒波に遭遇することがあります。これは、約束の国を目指すように神様が与えられるお導きと受け取るなら、新しい展開を迎えることができます。
この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。(ヘブル11:38、39)
※古代日本とユダヤ人との関係に関する本コラムの内容は、あくまでも筆者の個人的な見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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