「教会改革口実にキリスト教界を扇動」疑惑集中報道(4)
クリスチャン新聞編集顧問の根田祥一氏が編集長だった2004年、本紙に関する虚偽の情報を日本福音同盟(JEA)に提供した際、主な情報元となった韓国のキリスト教メディア「ニュースNジョイ」。その過激な論調だけでなく、鮮明な親北傾向が韓国のキリスト教界内でたびたび問題視されてきたが、このほど、さまざまな関係資料により、北朝鮮の朝鮮労働党の指導理念である「主体思想」を支持する韓国の政治運動「主体思想派」と密接に関係していることが浮き彫りになった。韓国クリスチャントゥデイによる集中報道第4回(8日付)を紹介する。(前回の記事はこちら)
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本紙は、ニュースNジョイに関連する主体思想派性向の団体「美しの村」共同体が韓国軍にまで浸透し、思想工作として金日成を賛美鼓舞する活動を広げて処罰を受け、大きな波紋を呼んだ事件を7日に報道した。
ところが、彼らの大胆なまでの歩みは、大学街や教会青年部、宣教団体にまで伸びていた。資料によると、ニュースNジョイが広報を通して青年募集を助け、その青年たちにキリスト教青年アカデミーが教育を通して思想を植え付けた後、「美しの村」が共同体生活を通していわゆる革命戦士に育成し、そのうちの幾人かをニュースNジョイに「派遣」するという方式の有機的な活動を進めてきたものと見られる。
キリスト教青年アカデミーは教会や宣教団体のメンバーを、北朝鮮を称賛する人々が集まった「美しの村」共同体に引き込む手段として活用されている。この過程では、「立てる土台(セウムト)」と呼ばれる集団を使った戦略的な取り込み方式もあることが確認された。
情報提供者はこの「セウムト」について、「人々をすぐに『美しの村』に引き込むことはできないから、『セウムト』を通して共同体生活をさせた後、『より具体化された共同体があるので行ってみよう』というふうに接近するものと見られる」と述べた。
これにより、特に保守教団の大韓イエス教長老会高神教団の宣教団体SFCが大きな内紛を経験した。SFCは過去に、キリスト教青年アカデミーと済州(チェジュ)島の江汀(カンジョン)村で「美しの村」のイベントを開いたり、キリスト教青年アカデミーのイベント開催時には会場を提供したりしていたほか、2008年には修養会の講師として「美しの村」代表のチェ・チョルホ牧師を招くなど、密接な関わりを持っていた。
このことがSFC内で議論を呼ぶことになり、高神教団は「美しの村」から脱退するよう勧告した後、応じない幹事らを辞任させた。高神教団は「美しの村」について、「民衆神学を土台にした自由主義的聖書解釈をする傾向がある」と指摘し、「また、従来の教会の職制を無視し、素人が持ち回りで説教するなど、ウェストミンスター信仰告白書で規定する普遍的教会の姿ではない」(2017年第67回総会報告書)としている。
当事者の一人であったパク某氏は、過去に「美しの村」のホームページに掲載した感想文で「6年前に初めて『福音と状況』と出会い、ニュースNジョイと出会い、キリスト教青年アカデミーと出会い、『美しの村』共同体と出会い・・・これらの出来事がよく系列化されていっている気がします」とし、このような教育を通じた自身の変化を「第2の回心」と呼んだ。
パク某氏が述べた「第2の回心」とはいったい何なのか?過去に左派陣営にいたが転向した長老会神学大学校のキム・チョルホン教授は、自身が共産主義に陥った経験を「政治的改宗」だったと表現したが、パク某氏が経験した「第2の回心」も同様の性格を持つものと思われる。キム教授は、当時の強烈だった瞬間について「私は共産主義者に生まれ変わった。共産革命のためなら私の命を喜んで差し出すことができ、革命のためなら死んでも光栄だと思うようになった」と述べた。
パク某氏はまた、キリスト教青年アカデミーに参加したときの感想文に「神に会って、私の考えが変化した場合、変化したという考え通りに生きればいいのだが、考えが変わって信仰が変わったのに、なぜ私の人生は変わりないのだろうか。韓国の教会が常に抱えている質問」と述べ、「歴史はその原因を、帝国主義と分断、軍事政権時代を経て、徹底的に欺瞞的機会主義的だった教会に探している」と主張するなど、反米的性向も複数回示した。
パク某氏は高神教団の勧告を拒否して辞任したあと、現在の江原道洪川にある「美しの村」共同体で生活している。
そうであれば、これらの教えは何であり、本当にこれは「キリスト教の信仰」に符合するのか?本紙が入手した資料と、すでに報道した内容によると、彼らの信仰と教えは、北朝鮮の金日成を崇拝する疑似宗教に近い。ソウル大統一研究院のキム・ビョンロ教授は、疑似宗教化した北朝鮮の主体思想を「首領教」と表現した(訳注:北朝鮮では金日成のみに対する最高の敬称として「首領様」と呼称する)。この首領教は、キリスト教の救いを社会的・歴史的解放という視点で解釈し、その延長線上に朝鮮民族の解放者は金日成であり、従って彼はすなわち救世主とする。このような解釈の中に、イエス・キリストの居場所はない。
「美しの村」代表のチェ・チョルホ牧師は「Cチャンネル・マガジン・グッデイ」とのインタビューで、「労働はすなわち祈り」とした。「美しの村」の食事の祈りは、神とイエス・キリストの恵みではなく、空や土、虫などにのみ感謝しており、礼拝の時は賛美ではなく、民衆歌謡を歌うこともある。
もちろんエキュメニカルなキリスト教にも民衆神学と伝統神学が存在するが、「美しの村」などの行動は、そのカテゴリもはるかに超えている。ニュースNジョイがいう「教会改革」も、改革派教会信仰がいう改革とはまったく違う。
「美しの村」では、北朝鮮赤衛隊の「青春(原題:一つしかない祖国のために)」という歌を歌うという。彼らが大声で叫ぶ「一つの祖国」は、神の国なのか、大韓民国なのか、そうでなければ金日成の主体思想に立脚した北朝鮮なのか。
神からは、世界中でイエス・キリストの御名のほかに、救われるべき名としてはどのような名も人間に与えられておらず、イエス・キリストと金日成への信仰は当然のことながら、絶対両立することはできない。従ってニュースNジョイ、キリスト教青年アカデミー、「美しの村」共同体、その他の関連団体は、これに対する立場を公式に明らかにしなければならない。