11月30日に94歳で死去した米国のジョージ・H・W・ブッシュ元大統領の国葬が5日、首都ワシントンにあるワシントン大聖堂で行われた。国葬では、クリスチャン歌手のマイケル・W・スミス氏が、ブッシュ氏に生前依頼されたという「フレンズ」を歌った。
スミス氏は前日、米キリスト教放送局「CBN」(英語)の番組に出演し、ブッシュ氏との数十年にわたる交流について語った。それによると、スミス氏は約3カ月前に、妻と共にブッシュ氏の元を訪問し、その際に1982年に作曲した「フレンズ」を葬儀で歌ってほしいと依頼されたという。
「(話し終えた)私と妻はブッシュ氏を抱擁し、『私たちはあなたを愛しています。お会いできてとてもうれしかったです』と言いました。私たちが立ち去ろうとすると、彼は天を指さして目を潤ませながら言いました。『友達(フレンズ)は永遠だ』と。彼に会うのはこれが最後かもしれないと思いながら、妻と私はその場を去りました」
スミス氏にとって、ブッシュ氏の葬儀で歌うよう依頼された栄誉は、言葉で言い尽くせるものではないという。
「(この依頼には)重みがあります。私と彼は29年間友人でしたから」とスミス氏。「私が葬儀で歌うことが彼の願いであったという事実は、言葉では言い尽くせない栄誉なのです」
スミス氏は5日、米陸軍合唱団、米海兵隊楽団、ワシントン大聖堂合唱団との共演で「フレンズ」を披露した。
米キリスト教ウェブサイト「クロスウォーク・ドットコム」に掲載された2003年のインタビュー(英語)でスミス氏は、ブッシュ氏と交友関係を結ぶようになったいきさつを語っている。それによると、2人の友情は、スミス氏が89年に米NBCの特別番組「クリスマス・イン・ワシントン」に出演したことから始まった。
「(番組で)歌い終わると、大統領からホワイトハウスに来てほしいという依頼を受けました。大統領と私がピアノの前を通りかかると、大統領は何か演奏してほしいと私に頼んできました。私は何も考えずに『このピアノは調率してありますか』と尋ねました。すると大統領は『そうだといいね』と答えました。それが私たちの友情の始まりでした。
私は決して忘れません。私がホワイトハウスで、大統領の家族の前で、オリビア・ニュートン・ジョンとクリスマスキャロルを歌ったときのことを。私はずっと考えていました。『私はどうして、ここ(ホワイトハウス)にいるのだろう。(さっきまで)ウエストバージニア州のケノバにいたのに』と」
スミス氏はその数カ月後、ブッシュ氏の息子で、後に自身も大統領となったジョージ・W・ブッシュ氏とテニスで白熱戦を繰り広げている自分に気付いた。
「私がジェブ・ブッシュ氏(ジョージ・W・ブッシュ氏の弟)のフロリダ州知事就任式で演奏したとき、若きジョージ・W・ブッシュ氏と共に時間を過ごす機会がありました。私のキャリアの中でも最も大きな栄誉の一つは、ジョージ・W・ブッシュ氏の大統領就任を記念する祈りの集会で演奏を依頼されたことです。私が『Above All』を歌ったのは、その時が初めてでした。
言うまでもなく、私は緊張していました。私は実際、歌詞の一部を間違えてしまいました。けれども、とにかく歌い続けました。私は、米国に対するブッシュ一家の貢献をとても感謝しています」
スミス氏は、ジョージ・W・ブッシュ氏の大統領就任記念集会で歌っただけでなく、今年2月に連邦議会議事堂で行われたビリー・グラハム氏の追悼式や、3月にノースカロライナ州で行われた葬儀でも歌った。
ブッシュ氏の国葬には、ドナルド・トランプ大統領やメラニア夫人のほか、バラク・オバマ前大統領や、ビル・クリントン氏、ジミー・カーター氏ら歴代の大統領も出席した。
そして、息子のジョージ・W・ブッシュ氏やカナダのブライアン・マルロニー元首相、アラン・シンプソン元上院議員(ワイオミング州)、ブッシュ氏の伝記の著者であるジョン・ミーチャム氏らが弔辞を読んた。
説教は、ヒューストンにある聖マルティン監督教会(米国聖公会)のラッセル・レベンソン・ジュニア牧師が取り次いだ。レベンソン氏はブッシュ氏の親友であり、ブッシュ一家の牧師でもある。
レベンソン氏は説教で「素晴らしい最期であるとともに素晴らしい始まりでもあります」と伝え、「ブッシュ氏はわずかな間、かすかに輝くともしびでした。しかし今は、これまで以上に輝いています」と語った。