今年2月、99歳で召天した世界的な伝道者ビリー・グラハム氏の遺言が公開された。
グラハム氏は遺言で、先に召された妻ルースさんとの思い出や、所有物に関する勧めを述べているほか、遺された家族に対しては、いかなる犠牲を払ってもイエス・キリストの側に立つよう勧めている。
グラハム氏の故郷である米ノースカロライナ州シャーロットの地元メディア「WSOCーTV」(ABC系列)は18日、16ページにわたるグラハム氏の遺言の写しを公開した。遺言は全部で8章から成り、第1章は「家族への遺言」と題され、グラハム氏が十代で入信したときに「喜びと平安」を得たことや、家族へ向けた言葉がつづられている。
「私の子どもと孫には、万難を排し、いかなる個人的犠牲を払ってでも、主イエス・キリストがささげられた血潮のみによる完全なる罪の贖(あがな)いという祝福された教義を保持し、また守るようお願いする。私はあなたがた全員に勧める。主と共に歩み、この世から離れ、永遠に価値あるものに目を留めなさい」
グラハム氏はまた、日々聖書を読み、救いの道であるイエス・キリストに信頼するよう家族に勧めている。
一方、地球上での生涯は短かったと回想し、1940年12月にルースさんと初めてデートしてから3年足らずで結婚したことにも言及。「キリストの故に、あなたがたの母と私は、素晴らしく、スリリングで楽しい人生を過ごせた」と語った。しかし他の夫婦同様、2人もさまざまな問題や苦しみを経験したと述べ、「私は、ルースが献身と愛、忠実さと犠牲の生涯を送ってくれたことに感謝したい。私が出会ったすべての人の中で、彼女は最も偉大なキリスト者だった」と、妻への深い感謝と尊敬を示した。
続けてグラハム氏は、残余資産の1割を「主の働きにささげる」よう家族に伝えた。得たものの十分の一をささげることは、グラハム夫妻が結婚当初から決めていたことだという。2人は「物質的なものにとらわれない」ようにしてきたと言い、次のように述べている。
「イエスは『どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである』と言われた。私たちはこれが真実であることが本当に分かった。
私は人生の初期において、自分のものと呼べるものはほとんど持っていなかった。結婚してから数年間も、私たちには持てるものがほとんどなかった。私たちは、多く与えられることを夢見たことがまったくなかった。物質的な祝福を神の栄光のために用いるよう努め、物質的な祝福から自分たちを切り離すよう心掛けてきた。
自分たちの根をこの世に深く下ろそうと考えたことは一度もなく、それらにとらわれずに生きることを望んだ。そうすれば、それらのものが突然取り去られても、動揺することがないからだ。
しかし、私は告白せねばならない。主の僕としてどのくらいの生活水準を維持するかについて、常に一定のジレンマに直面していたと。私たちは長年、適切なレベルを維持してきたと感じている」
そして最後には次のようにつづっている。
「私が物事を適切に取り扱えたか否かについては、キリストの裁きの御座で主のご判断を待つことになる。その時すべてが明らかにされるからだ。私は主の御前で最善を尽くした。私が遺すものを管理するのは自分たちだけであると、あなたがたが認めてくれると私は固く信じている」
残りの第2章から第8章までは、遺言の法的側面に関するものだった。
日本を含む世界185カ国・地域を巡り、2億1500万人に福音を伝えたグラハム氏。その世界規模の活躍と成功にもかかわらず、自身は簡素で控え目な生活を願うことで知られていた。その姿勢は墓標にも表れている。
シャーロットにある「ビリー・グラハム図書館」の敷地内に、妻ルースさんと共に眠るグラハム氏の墓石には、十字架と共に次のように刻まれている。
ビリー・グラハム
1918年11月7日−2018年2月21日
主イエス・キリストの福音の説教者
ヨハネによる福音書14章6節
グラハム氏が最後に選んだ聖句は、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14:6)というイエス・キリスト自身の言葉だった。