えぐれた傷は眠りのうちにかさぶたとなり、朝には痛みも消えていました。ロフトに差し込む光の中で、胸の弾みすら覚えました。
今日は特別な日になる予感がするのです。なぜなら今日は戸根先生に誘われて、ホームレスの方たちへの越冬炊き出しのボランティアに参加するのですから。
隣町の教会の企画に戸根先生と奥様と、教会員の先輩たちと一緒に加わります。メニューは親子丼と豚汁。午後4時に、2駅離れた町にある、水上公園に集合です。
いつかこんなボランティアをしてみたいと思っていました。寒い路上で眠るホームレスの人たちのことを、かおるはよく心に留めておりました。
1年前のちょうど今頃。とても寒い夜に、家出をしたことがありました。いつものように父親とけんかをしたのです。かおるは毛布を抱えて近所の川辺に向かいました。意地でもそこで夜を明かして、父親に後悔させてやろうと思ったのです。
夜の川辺は、水面が街灯に照らされて、きらきらと冷たそうに輝いておりました。捨てられていた段ボールを引きずって、橋の下の風がよけられるところに敷きました。そして持ってきた毛布にくるまりました。
しかし川辺は思ったよりもずっと寒く、毛布をぐるぐる体に巻き付けても、一向に温かくはなりません。水辺から吹き上げる風に足先は凍り付き、足の指の一本一本が痛みます。
夜中の3時を過ぎた頃でした。凍り付いた足の指が腫れあがるほどに痛くなり、そこにいることを諦めて、毛布を抱えて家へ向かって歩き出しました。
振り返ると遠くに、ホームレスの人の寝姿が見えました。自分には帰る家があることが、なんとも恥ずかしく、ここに来たことを悔やみました。それから、路上生活をする人たちに、心を留めてきたのです。自分には一晩も越すことのできなかった、厳しい路上で眠る人が今もたくさんいることが、かおるの胸を締め付けました。
自分がクリスチャンになった今、そんな人たちの力になれるんじゃないか。そういう期待もありました。ですから、戸根先生に越冬炊き出しに誘われたときは、とてもうれしかったのです。
張り切って、頼まれた買い出しのリストを見返します。「割り箸、紙コップ、紙皿・・・と」
集合時間までに買い物を済ませ、水上公園に着きました。広い水上公園には、もう炊き出しのテントが設置されており、幾人かのホームレスの方たちが並び始めていました。この公園をねぐらにしている人たちや、いつかかおるが寝た川辺や、繁華街のある町からも来ているようです。
ボランティアスタッフの方たちの中に、戸根先生と奥さんを見つけ、かおるは走り出しました。
「遅くなりました」。戸根先生は段ボールいっぱいの新約聖書を何冊か取り出して、かおるに渡しました。
「皆さんがおなかいっぱいになったら配ってほしいんだ」。かおるはうなずき、買ってきたものをスタッフの方たちに渡しました。
越冬炊き出しでは、食べ物のほかに、毛布やジャンパーも配ります。毛布やジャンパーも、本当に必要なものですが、聖書を配る役目を与えられたことが、なんだか誇らしくありました。
大きなお鍋には、あつあつの豚汁が出来上がっています。並んでいる皆さんは、それを受け取ると公園の段差に腰掛け、息を吹きかけながらおいしそうに食べていました。
「おいしいですか?」「とても寒いですね」。声をかけて回りました。そして、もう満腹している一人のおじさんを見つけました。
その人は長い髪に青いジャンパーを着ており、ひげも少し伸びていました。満足そうに空の容器を持ったまま、天を仰いでいました。
かおるは近づき、「こんにちは。いかがでしたか?」と聞きました。おじさんは、「おいしかったよ」と顔をくしゃっとゆがめました。
「私たちは教会に通うクリスチャンなんです。もしよかったら聖書をお読みください」。そう言って新約聖書を手渡しました。
おじさんは驚いたように受け取って、「聖書って言ったらキリストっていう人の本だな。なんだかたいそうなものまでもらっちゃったよ」とほほ笑みました。
「よくご存じですね。イエス様のことがここには書かれているんです。2千年前にお生まれになった、神様の御子なんです。私たちの罪を贖(あがな)って十字架に架けられたお方です。きっとおじさんの助けにもなってくださいます」
そう言っておじさんの隣に腰掛け、聖書を開きました。そして、ヨハネ15章の4節からを読みました。
「『わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない』。イエス様がおっしゃっていることです。私たちの誰も、イエス様とつながらずに実を結べる者はいないんです」
おじさんはうんうんとうなずいて、「そうだな。私も神様は信じているんだ。自然や虫たち、鳥たちを見ると、いないわけがないと思うよ。これでも私は、神様の言う通りに生きているつもりなんだよ」と言いました。
かおるはおじさんに聞きました。「私はかおると言います。おじさんはなんていう名前なんですか?」
おじさんは照れながら、「はっつぁんと呼んでくれ」と笑いました。
かおるは不思議とこのはっつぁんというおじさんに、惹かれるものを感じました。そしてしばらく隣に座って、たわいもないことを話しかけてはそこを動こうとしないでいました。
するとはっつぁんは、ぽつりぽつりと自分のことを話してくれました。
「・・・俺はさ、鳥や花や木が好きでな、こういう暮らしが好きでもあるんだ。人間の世界はどうにも苦手だ。かたっ苦しくて窮屈で、たくさんの決まりがあるだろう?・・・鳥や花や木には決まりはない。自然の決まりにのっとって、自然の決まりに従って生きていればいいんだ。俺はそんな自然の決まりが好きなんだな」
かおるは身を乗り出しました。
「自然の決まり、それは神様のお造りになった決まりですね。おじさん、ぜひ聖書を読んでください。きっと分かってくださいます。そしてまた話をしたいです」。そう真剣に訴えました。
*
はっつぁんは新約聖書をぱらぱらとめくり、閉じてから空を仰ぎました。大きなため息がもれます。もう炊き出しも終わり、夜も更けておりました。こんな寒い夜は眠ってはいけません。毛布を体に巻き付けて、貧乏ゆすりを繰り返し、朝が来るのを待つのです。
かおるに言った言葉が自分に刺さります。「自然の決まりが好きなんだな」。それはうそではありません。しかしこのように寒い夜は、自分の置かれた境遇が、なんともみじめに思えるのです。
公園にはもう人は歩いておりません。遠く見えるマンションの明かりが灯っています。「あったけえんだろうな」。はっつぁんはそう言って、自分のしわだらけの手を見つめました。
はっつぁんは、幼い頃から動物や植物が好きでした。人間の社会なんてなくなればいいと思うほど、動物や植物を友達のように思っていました。そうこうしているうちに就職にもあぶれて、日雇いを繰り返しました。結婚もしたことはありません。
なじみの三毛の野良猫が近づいて甘えます。はっつぁんは、慣れた手つきで猫を懐に入れてやり、ごわごわの毛を撫でてとかしてやりました。こんな夜は猫と温め合うのが一番です。
自分を情けなく思うこともありますし、みじめさに泣く夜もあります。それなのに、あんなに偉そうに言ってしまった自分を恥ずかしく思いました。
「神様ってのは厳しいなあ」。遠くから吹きすさぶ北風に向かって言いました。手がかじかんで、聖書は開けそうにありません。大切そうに聖書も懐にしまいます。
そんな夜でも生垣の椿は美しく咲き誇って、「大丈夫、はっつぁん。私たちがともにいる」と、はっつぁんを慰めます。赤い椿は冷気を帯びて、いっそうきらめいて見えました。
「あんたは立派だ。凍えようが散ろうが文句も言わねえ。俺も負けちゃらんねえって思っているからな」。はっつぁんは、椿を見つめて涙ぐみました。椿はそれに返します。
「うん。私もあなたをとても立派だと思っているわ。苦しいことにずっと忍耐してきた」。「ありがとな。お前たちがいて心強いよ」。「私たちの方こそよ」・・・「僕たちこそだ」。そうささやくのは椿、そして青草たちです。
植物たちや動物たちの声が聞こえるようになったのは、中学2年生の頃からでした。
その頃のはっつぁんは、家が貧しいことを理由に、学校でいじめにあっていました。誰も「一緒に帰ろう」とは言ってくれず、一人で帰った雨の下校道のことでした。涙をこらえて地面を見つめ歩いていると、道端沿いに植えられた大きな紫陽花たちが「はっつぁん、お前は一人じゃない」と話しかけてきた気がしたのです。
はっつぁんは驚いて振り向きました。すると道端の紫陽花がそれぞれに「そう、私たちがともにいる」「俺たちが一緒だ」と、話し出すではありませんか。その慰めの声はやがて、ほかの樹木たちにもうつり、そしてとうとう空いっぱいに「はっつぁんは一人じゃない!」と大合唱がこだましました。
雨音もリズムをつけて跳ね出します。はっつぁんは、その中に立ちすくみ、傘を投げ出し雨を浴び、大声でむせび泣きました。
その日から、ことあるごとに植物や、また猫や虫たちも、はっつぁんと話をしてくれるようになったのです。自分が病気なのではないかと疑ったこともあります。しかし今では、神様と呼ばれる大いなるものが、一人ぼっちのはっつぁんに与えてくれた、大切なプレゼントのように思っています。
・・・神様は、この世では生きられない弱いものや、耐えられないほどのつらいことがあるときに、オブラートで包むように、この世とは隔絶した世界を与えてくれたりもするのだと、それがはっつぁんの信仰でした。
はっつぁんは今夜も椿に、照れ笑いして答えます。「あんたたちみたいに立派じゃないよ。置かれた場所で文句も言わず咲いては散って、また咲くんだ。すごいよ、お前たちは」
椿は、ほほ笑むようにきらめきました。「私たち花や虫たちや鳥たちは神様を信じているから、安心しているの。だから、自然に従って、生きて死ねるのよ。はっつぁんも信じてみるといいわ」
はっつぁんはため息を漏らしました。「神様か。信じていないわけじゃないんだけど、けっこう厳しい神様でさ・・・俺には怖いよ」
椿はぶるっと身もだえして言いました。「あなたの悲しみが私を震わすわ。でも、あなたには私たちがいるじゃない。たいていの人は孤独なのよ」。そして、「そうよ」「そうよ」と枯れ木や青草も、風に揺れながら言いました。
「そうだな。俺にはお前たちがいる」。「・・・僕もいるよ」。そう言ったのは懐の猫でした。
「ありがとうな」。はっつぁんは、一生懸命ほほ笑みました。
景色は虹色に輝き、一粒一粒の色や光が明滅しだし、世界を彩ります。人が一人もいなくなると、はっつぁんの世界が始まります。花や草木や虫たち、空までもがしゃべり出し、世界が生き生きと生き始めるのです。
・・・はっつぁんの秘密の世界です。暗闇はどんな明るい真昼よりも、色鮮やかに映るのです。命の粒の一つ一つがきらめいて、はっつぁんを優しく慰めます。自分のみじめさに泣く夜も、鮮やかな命の海が包み込んでくれました。
かおるは湯船につかって、今日一日のことを思い返しておりました。7人の人が聖書を受け取ってくれたことを思い出し、誰か一人でも、救いに導かれますようにと祈りました。
ガラス戸の向こうは凍てつく夜です。皆が路上で夜を明かしていることを想い、神様がともにあってくれるようにとも祈りました。木枯らしの音が浴室の中にまで響いてきます。
・・・神様はとても厳しい。それでも、「自然の決まりが好きなはっつぁん。明日会いに行ってみよう」。かおるは口に出して決意しました。
今夜は早々と布団に潜り込み、明日のポタージュのことを考えました。はっつぁんにあったかいポタージュを作っていってあげるのです。友達のできにくいかおるでしたが、はっつぁんには臆することなく話せたことが不思議でした。
この寒い夜を、たくさんの路上生活者、そして猫や鳥や獣たちと乗り越えているような気持ちで、かおるは布団に入りました。
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、友人の導きにより、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。現在、県内の障がい者施設で働きながら、加須市の東埼玉バプテスト教会に通い、2018年4月1日イースターに木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。