知っている景色がある。
そこは、細かな粒子で出来た世界。
粒子の一粒一粒は、世界そのものを映すように多様な色で輝いており、
それが草木や人をも形成している。
神様の愛そのものの色である、真白き光が見渡す限りに包み込み、
木々も草花も私たちも、ただ愛において命の粒子を交換し合い
老いはなく、死はない。
そこには罪はなく、言葉は祈りそのものだった。
青草も、光を浴びて、すくすくと天に伸びて行き、光を映した滴は、土に落ちて青草の輝きと生まれ変わる。
永遠に続く交わりの中で、ただ、幸せだった。
*
朝が来ると、胸のしこりがうずきます。鉛のような固いしこりは鈍い痛みを伴って、体をぐんと重くします。
かおるの胸のしこりの正体、それは「憎しみ」です。いっそ体を焼かれたほうが楽だ。そう思うほどにそのしこりは熱く焼けただれたように痛みます。
かおるはベッドから起きだして、白い壁に掛けられた時計を見てうんざりしました。「今日も一日が始まった。アルバイトに行かなくちゃ」
かおるはまだ18歳。高校3年生の年頃で、一人暮らしをしています。かおるは最近家を出ました。家出に近い、自立でした。
ふた月前までは、市内の住宅地の一軒家で、お父さんと2人暮らしをしていました。お母さんは、かおるが7つの時に病気で亡くなっており、それからはお父さんに育てられました。
お父さんはお酒が好きで、飲んでいるときは顔を赤らめて上機嫌ですが、お酒が切れるとそっけなく、人をけなす癖がありました。そして気に入らないことがあると、「出て行け!」と拳を振りかざします。
玄関の靴がそろっていない、洗い物をしていない、いつもは何も言わないことも、機嫌が悪いときは拳をかざし、「そんなこともできないのなら出て行け」と叫び、「くそじじい!」と応戦するかおるに、より憤って追いかけます。廊下の突き当りに追い詰めると、かおるのおなかを蹴り上げて、髪の毛をつかんで壁に叩きつけました。
かおるは父を蹴り返そうと、じたばたともがきますが、力の強い父にはかなうことはありません。
かおるは中学生の頃から学校を休みがちになり、高校へ上がっても休みがちの癖は続きました。友達もほとんどおらず、自分の部屋に引きこもる癖がつきました。
お父さんはそんなかおるにいら立って、拳を振り上げ、蹴ることも少なくありません。
「気にくわないのなら出ていけ」。その言葉に応じるように、ふた月前に荷物をまとめ、家を出る準備を始めました。
「お父さん、私出て行くから」。そう言って賃貸契約書の連帯保証人のサインを父に願い出ると、父は反対もせず、しぶしぶと判を押しました。
「勝手なことばかりしやがって。お前なんて娘と思っていないからな」。そう小さく言いました。
実際に家を出て、アルバイト生活で生きてゆくことは、なかば意地のようなものでした。高校や進学に未練がなかったかと言ったらうそになります。それでもかおるにとって、家にいるよりもずっと幸せな暮らしの始まりでした。
朝からシャワーを浴びたって、好きなものを食べて、好きな服を着たって、だれも文句を言いません。食器を下げずに家を出ても、面倒な時は靴をそろえないで家に入っても、なにも怖くありません。
まだ空がしらけている朝に、ひんやりと澄み切ったシャワー室で熱いシャワーを浴びます。ショートカットの髪の毛をリンスインシャンプーで洗うと、スウィートレモンの甘い香りに酔いしれます。熱いお湯がバチバチと体にはねるなか、石鹸で体を洗います。シャワーを出ると、タオルドライだけで髪の毛は自然乾燥です。ざんばら髪が自分らしくて気に入っています。
アルバイト先は、チェーン店の牛丼屋さんです。8時間を週に5日。立ちっぱなしで大きな声をあげながら牛丼を運び、1カ月のお給料は12万円と少しです。それがかおるの生活を支えていました。
アルバイト先の店長は、何か事情があるのだろうと、かおるに優しくしてくれました。顔色の悪いことに気付くと、にんにくを揚げて食べさせてくれたこともありました。おなかを鳴らしていると、「こっそり食べろ」とおにぎりを握ってくれたりもします。
そんな小さな優しさがうれしくて、かおるは必要以上に仕事を張り切り大きな声で牛丼を運びます。
6時間もたつとくたくたで、時計を見上げ始めます。もう少し、もう少しと自分を励まし、残りの2時間を過ごします。
ロッカーで着替えると、扉の裏側の鏡で髪を整え、薄くリップを引きました。大切な時間が待っているのです。
バッグを両手でおなかに抱え、「お疲れさまでした」とアルバイト先を飛び出しました。向かうのはこの街にある教会です。
白い三角形の形をしたかわいらしい教会は、扉のカギが空いています。「祈りたいときにいらっしゃい」。優しい牧師先生が、そう言ってくれたのは、家を出る少し前のことでした。
まだ実家に暮らしていた頃でした。テレビの音が大きいことを理由に、父は激高してかおるに襲い掛かりました。かおるはコートも着ずに家を飛び出し、気が付けば右と左で違う靴を履いていました。
「ふざけんな、くそじじい」。そうつぶやく自分がとてもみじめに思え、明かりの多い市内の住宅地を抜けて、街灯もあまりない田んぼの多い市外地をとぼとぼと歩いていました。あぜ道を、砂利を潰すように歩いていると、虫たちも息をひそめた冬の初め、静寂の中を風がごうごうと響いていました。
「もう帰りたくない」。そんな思いでいたときに、明かりのついた白い教会があることに気が付きました。近づいてゆくと、表の看板に、「すべて重荷を負うもの、私のもとへ来なさい。私が休ませてあげよう」と墨で書かれていました。かおるはその言葉の前に立ちすくんでいました。
しばらくたったのち、かおるに気付いた優し気な男性が教会から出てきました。それが、この教会の牧師の戸根先生でした。
戸根先生はかおるを招き入れると、集会室で熱いお茶を入れてくれました。まさか、教会の中に招いてくれるなんてと、かおるは驚いておりました。熱いお茶を息で冷まして飲みながら、こんな温かいお茶を飲んだことがないような気がしました。
「この人なら私の話も、ばかにはしない」。そんな気がして、言葉少なに先ほどのお父さんとのいきさつを話しました。戸根先生はじっと話に耳を傾け、沈黙の後でおっしゃいました。「それはおつらかったですね」。うつむいた先生からは、かおるの痛みを自分の痛みのように感じておられることが伝わりました。
そして顔をあげると、「どんな親であれ、神様がかおるさんに与えた親であって、それは必ず意味があることなんですよ。・・・たとえ子どもを虐待する親であったとしても、神様が愛を持って与えてくださった親であることに変わりはありません」と言いました。
「虐待する親でもですか?」。かおるは目を見開きました。戸根先生はじっとかおるを見て言いました。
「そうです。神様は必ず、意味があってお与えになるのです。そしてかおるさん、あなたは神様に愛され、信頼されているんですね。だからこそ、厳しいお父さんのもとにお生まれになった。・・・神様は信頼する相手にこそ、試練を与えられるのです」
そして、ヨブ記という、ヨブを信頼して試練をお与えになった、神様のお話をしてくれました。
「信頼されているから試練を与える・・・」。それはどこかで聞いたことのある説でした。
「そうです。神様はその人に応じて試練を与えます。私には耐えられないような試練を、かおるさん、あなたは与えられている。愛されて、信頼されているのですね」
そう言ってほほ笑み、分厚い聖書をかおるに持たせてくれました。そしていつでも来るように、と言ってくださいました。
それからかおるは、ことあるごとに話を聴いてもらいに、教会を訪れ始めました。そして神様のお話しを聞き、神様への祈りの仕方も教わったのです。
戸根先生との出会いはかおるにとって大きなものでした。戸根先生は、かおるの心を大切に取り扱うことによって、かおるには価値があり、大切にされるべき尊厳があることを教えてくれました。
戸根先生と出会うまでのかおるは、自分には価値があり、大切にされてもよい人間であるなどと思いもしないで生きてきました。殴られても蹴り飛ばされても、どんなに罵倒されようと、自分がそうされるにふさわしいからそうされるのだと思っていました。そして自分も、思いつく限りの罵詈(ばり)雑言を父に浴びせるようになってゆき、口の悪い自分を大嫌いになってゆきました。
戸根先生は、かおるを小さな我が娘のように扱いました。そのように扱われることを通して、かおるは目からうろこが落ちるように、自分はかわいらしくまだ幼い、大切にされるべき存在なのだと知ったのです。
聖書のお話はよく分からないところもたくさんありました。しかし、イエス様という方が命に代えてかおるを愛してくださったことを、少しずつ理解してゆきました。
「こんにちは」とノックして、教会の扉を押すと、廊下を渡って礼拝堂に入ります。ちょうど牧師夫人がオルガンの練習をしており、かおるを見るとにこりと会釈をしました。牧師夫人の多恵さんは、戸根先生の奥さんにふさわしく優しく、そしてとても強い人でした。
「祈ってもいいですか?」。そう聞くと、夫人はほほ笑みうなずいてくれました。聞いたことのあるバッハの曲を奏でています。その荘厳で優しい調べの中で、かおるは椅子に腰かけ、手を組み神様に思いをはせました。
やがて戸根先生がやってきました。「かおるさんいらっしゃい。分級室で学びをしましょう」。「はい」。かおるは戸根先生の後について行き、初めて教会に来た日に通された部屋に行き、聖書を教えてもらいました。
教会の後は、教会のそばに借りたアパートに帰ります。誰もいない部屋に帰るのは寒々しいものですが、実家にいた頃よりもずっと心は温かです。今まで誰もいなかった心の中に、神様という火がともり始めたからでしょうか。
かおるの部屋は、モルタル造りの白いアパートの2階です。4畳半にロフト付きの小さな部屋で、ロフトをベッドにしています。
洋服を脱ぎ、ジャージに着替えると、ロフトへのはしごをよじ登り、敷きっぱなしの布団に転がりました。毛布を引き寄せ、体にかけると聖書を開きます。
開いたのは十戒。「あなたの父と母を敬え」という箇所です。聖書には親を敬わないことへの戒めが、至る所に書いてあります。
「どんな親でも?」。かおるはそう問い掛けます。「聖書には、良い親には従順で悪い親には不従順でもいいとは書いてありません。どんな親でもです」と、戸根先生の言葉が聞こえるようでした。
かおるは祈りました。「なぜ私にこのような苦しい境遇をお与えになったのですか?私は父親が憎いです。その憎しみを背負うことができません。死んでしまうかもしれません。それでもいいと思われたのですか?」
天の父はじっと沈黙して、かおるを見つめておりました。父親に蹴られた記憶がよみがえり、内臓は腫れあがるように痛みました。かおるはおなかをかばうようにうずくまり、嗚咽をロフトに響かせます。
「お父様、どうして?」。そう叫んで、枕に顔をうずめました。そしてまぶたの裏に焼き付くように浮かぶのは、1人では広いあの家で、暖房もつけずに眠る父親の姿でした。父親の孤独がかおるの胸をひりひりと痛ませます。お互いに一人ぼっちで傷つけ合う自分たちが、この世界から取り残されたみじめな親子のように思えました。
◇
さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、友人の導きにより、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。現在、県内の障がい者施設で働きながら、加須市の東埼玉バプテスト教会に通い、2018年4月1日イースターに木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。