昼食の時間が来て、お父さんは帰りました。のりぼはフロアで昼食の焼きそばを1人で食べました。おばさんは遠くの席で食べているのが見えました。
そしてフロアを眺めると、先ほど、あちらの世界で「世界の終わりが近づいた!」と叫んでいた青年も遠くの席にいるのが見えました。この青年は、いつしかおばさんとのりぼが座っているベンチに一緒に腰掛けて、歌を歌っていたことが思い出されました。確か平和を願う歌を歌っていたのです。
のりぼは不思議な気持ちで焼きそばを平らげました。そして昼食が終わると、フロアの先の、いつもの陽だまりのベンチに腰掛けました。少しすると、青年が隣に腰掛け、「俺さあ。世界の終わりを感じてるんだ」と、のりぼに唐突に話しかけました。
「こんな世界はいつしか終わりさ。不義、不道徳のまかり通った世界。そんな世界は・・・おしまいなのさ~♪♪」
青年はどんどん節をつけて歌いだしました。
「この地を捨てて逃げ去ろう~♪世界はやがて裁かれる~己を肥やす人間ども、みんな地獄へ墜ちていく~♪」
「・・・神は、それをどれほど泣き悲しんで行うか分かる?」。その声はルビーでした。そして景色は碧い草原に変わっていました。のりぼも青年も、白昼夢の中に迷い込んだ驚きを隠せずにおりました。
「最後の時・・・それは神の怒りと悲しみが頂点に達する、あまりにも恐ろしい義の現れた世界よ。・・・それなのに、皆終末のことは考えようとしない。終末にこそ、神の心が現れているのに」
青年はルビーを見ると、慌ててポケットからアイフォンを取り出して、1つの曲を流しました。それは、ハレルヤとアーメンの言葉が繰り返し歌われているクラッシックでした。そして、「ヘンデルの『司祭ザドク』なんだけどさ、この前この不思議な世界で空から流れた曲は、これに似ていたよね。本当にこういう音楽が空から流れて、ハルマゲドンは起こるんじゃないの!?」と聞きました。
「ヘンデル・・・」。ルビーは懐かしそうに、そしていとおしそうにその名を呼びました。そして、「彼も神様から受け取って音楽をたくさん作っていたから、そういう曲が空から流れたってなにもおかしいことじゃないわ・・・神様は音や光や言葉だけでこの世界を終わらせることのできる方よ。でも、まだ起こることではないわ」と言いました。
「いつ起こるの?」。青年は身を乗り出しました。ルビーは悲しげな眼をして、青年とのりぼの顔をのぞき込みました。「神様の怒りと悲しみ・・・愛が、頂点に達したときよ。・・・すべては愛において起こるのよ」
「神様って怖いね。なにも悪い人たちばかりじゃないのに」。「のりぼう。罪はそれ自体で、滅びの性質を持っているの。罪はそれ自体で、自ら永遠に燃え盛り、滅びるものなのよ」。そう言ったルビーの声は、なぜかお母さんの声に似ていました。
お母さんの声色は続けます。「だから、イエス様の血が流されたのよ。イエス様が、神の御子が、私たちの罪を贖(あがな)ってくださった。私たちはその血を浴びて、清められ、イエス様の言葉に従う者とされてゆくの。イエス様の血以外に、私たちを清められるものはないのよ」。のりぼは、どきどきとしてその言葉を聞きました。
丘の向こうでは赤い十字架が輝いており、のりぼはそれをじっと見つめました。青年もおどおどとその十字架を見上げました。
その時、空からハレルヤコーラスが響きました。天は無数の光の糸を地に注ぎます。のりぼは、言葉によって世界が滅ぶということが信じられるような気がしてきました。「ハレルヤ!」。その言葉が、光とともに天から地上に降り注いだ日に、この地のすべては覆り、滅びにさえ至るのだと分かりました。
その日は来る、と思いました。それは青年も同じようで、隣で両手を組みながらガタガタと震えておりました。
「のりぼ」。のりぼはハッとしてルビーのほうを向きました。その顔はルビーですが、お母さんでもあったのです!
「のりぼ、よく学びました。もう1人で大丈夫。お母さんはずっとのりぼを見ている。守っている」。そう言うと、お母さんの面影を宿したルビーは、ただのルビーに戻りました。
のりぼはルビーにしがみつき、「お母さん!お母さんでしょ!出てきてよ!」と叫び、泣きじゃくりました。ルビーは真綿のように柔らかくのりぼを抱きしめ、「もう1人で大丈夫」と確信を持って言いました。
「1人じゃだめだ。1人じゃだめだ」。のりぼはそう言ってぐずりました。「そうね。1人じゃない。みんなに助けてもらって、たくさん愛されて育ちなさい」。そう言う声は、やっぱりお母さんにしか聞こえませんでした。
海の波が引くように、この世界が遠ざかっていくのが分かりました。どんどん現実の世界に戻っていくのが、風の変化で分かりました。のりぼの涙も、変わりゆく風が乾かしていき、心もしっかりと固くなってゆくようでした。
気付くとのりぼは、青年と陽だまりのベンチに腰掛けたまま、ぼんやりとしていました。青年もぼんやりとして「夢でも見たか」と言うように、目をこすっておりました。
「作業療法の時間で~す!みんなで椅子ヨガをしましょう~!」。看護師さんの明るい声がフロアの真ん中から響きます。のりぼも青年も立ち上がりました。
その日の午後、いつものように訪ねてくれた戸根牧師に、のりぼは言いました。「僕、クリスチャンになりたい。どうやったらなれるの?」
戸根牧師は言いました。「イエス様は、弟子のペテロに『私に従いなさい』とか『私に倣いなさい』と言ったのではないんだよ、『あなたは私を愛するか?』と3度も聞いたんだ。のりなり君なら、イエス様の『あなたは私を愛するか』という問いかけになんて答えるかい?」
のりぼはじっとうつむき、考えました。イエス様を愛するなんて言う資格が自分にあるのかと思ったのです。「もしそれが許されるなら・・・愛するよ」。戸根先生はのりぼの肩を両手でつかみ「愛することは許されたり、資格があってすることじゃないんだ。愛するっていうことは、もうどうしようもない『思い』なんだよ」
のりぼの目から涙がぽろぽろとこぼれました。「だったら、イエス様を、愛していると思うよ・・・」。やっとのことでそう言いました。そして、泣きじゃくりながら、「だって、この世の王でありながら、僕たちのために、弱い体で生まれてくださったんだ。そして僕たちのために、僕たちのために・・・そんなイエス様を愛さないことは誰にできると言うの?」と言いました。
戸根先生は目に浮かぶ涙をぬぐって、「まことにそうだ。誰にもできないよね。そんなイエス様を愛さないことは」と言いました。そして、「退院をしたらバプテスマの準備をしよう」と言い、信仰をかためた人の受ける、バプテスマの儀式の話をしてくれました。
のりぼはその日から、不思議な世界へ行くことも、ルビーの声を聞くこともありませんでした。
のりぼの退院は、その日から1週間後の夕暮れ時でした。午後からせわしなくお父さんが退院の手続きと準備をしてくれました。これから2人きりの家に帰ります。お父さんは張り切っておうちの掃除をしたそうです。
お母さんのいない家で、2人の暮らしが始まろうとしていました。「お父さん、僕のためにありがとう。ごめんね」。「何を言う。当たり前だ」。心にぽっかり空いた「お母さん」という穴を埋めあうように、2人は優しくしあいました。
お父さんは入院道具を入れたボストンバッグを片手で担ぎ、片手はのりぼの手をしっかりと握りました。看護師さんたちにお礼を言い、病院を後にすると、のりぼはじっと振り返りました。
巨大な白い病院は、オレンジ色の明かりをともし始めました。この病院で見た夢を、宝物のように思いました。そして、きっともうあの世界には行けないのだ、と少し寂しくなりました。
その時、お父さんがぎゅっとのりぼの手を握りました。のりぼはお父さんを見上げ、ぎゅっと強く握り返しました。
車に乗ると、街灯のともった町が車窓から流れるように見え、とても美しく思いました。赤信号で車が止まると、わきの家の花壇では花が咲き、空には一筋の薄紅色の雲が流れ、月がぽっかりと浮かんでいました。花壇の花は、枯れ始めているものも、咲き誇っているものも、月明かりに照らされて輝いておりました。
人は病気になったり老いてゆくと、情けなく感じたりもします。でも花はそうではありません。枯れようと、萎れようと、土に返ろうと、神様の言う通りに輝いて最後まで生きているのです。
僕もそうでありたい、とのりぼは思いました。そうやって見つめた世界はとても美しくて、この世界のどこにも神様を現していないところはないことを、のりぼは知りました。
「ハレルヤ」と小さくつぶやいて、ハンドルを握るお父さんの横顔を見つめました。(おわり)
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、友人の導きにより、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。現在、県内の障がい者施設で働きながら、加須市の東埼玉バプテスト教会に通い、2018年4月1日イースターに木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。