朝起きると、すぐに三角巾で頭を縛りました。戸棚からホールコーンを取り出して、ミキサーにかけます。ミルクを少しずつ注いでは、ミキサーを動かしました。お鍋いっぱいに仕上がると、カップ付きの大きな水筒に流し込みました。今日のアルバイトは夕方からです。時間はたっぷりあります。
かおるはジャージにコートを着込んで、水上公園に向かいました。かおるの住む町から2駅の水上公園駅に着くと、すぐに生垣と冬の枯れ木に覆われた公園が見えてきます。はっつぁんを探して公園内を歩きました。コンクリートで補正された通路の脇は、自然の木々が生い茂り、小さな川も流れています。川にはフナやコイ、カメに鴨、たくさんの生き物が憩うています。
公衆トイレの裏のベンチに、はっつぁんを見つけました。ジャンバーを着込んで、座ったままでうつらうつらと眠っています。はっつぁんを起こさないように、そっと水筒をはっつぁんの脇に置きました。そして、カバンからメモを取り出して手紙を書いておこうと思ったその時、「おじょうちゃんか」、はっつぁんが目を覚ましました。
「すみません、起こしちゃって」。「いいんだ、もう十分寝たから」。はっつぁんは目をこすります。「おじさん、スープを作ってきたんです。あったかいコーンポタージュ。ぜひ飲んでください」。そう言って水筒を差し出しました。
「どうして。今日は炊き出しじゃないだろ?」。はっつぁんは驚いた顔を見せました。「昨日の夜はすごく寒かったから、心配で来てしまいました。おじさんが大丈夫なように祈っていたんですよ」。「そりゃあありがとう。珍しい女の子だな。優しいな」。そう笑いました。
かおるは水筒からポタージュをカップに注ぐと、はっつぁんに渡しました。はっつぁんは何も言わずに受け取って、ぐびっと飲んで、「こりゃうまい!」と言いました。
「おじさんの言っていた自然の決まりについて話したくて来たんです。聖書にも書いてあるんです。ローマ1章に、この世界のすべてに神様はあらわされているって」。はっつぁんは慌てて懐に手をやり、昨日もらった新約聖書をめくりました。かおるはめくるのを手伝ってその箇所を開き、読んであげました。
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」
はっつぁんは顔をしかめます。「・・・難しいな」。「そうですね。簡単に言うと、この世の万物は神様を現していて、そうではないものはないってことです」。「そうか。確かにそうだなあ。だから人は山や太陽に手を合わせて拝まずにいられないんだな」
かおるは前のめりになって言いました。「そうなんです。神様の神性はもう十分に万物に現れている。その神様は愛に他ならないんです」。はっつぁんは神妙そうにうなずきます。「そうだな。かおるちゃんが言っている通りだ。でも・・・愛と言うには、ちょっと神様は厳しいな、と思うこともあるなあ」
かおるは口を閉ざしました。はっつぁんの感じる厳しさ、それはかおるには分かりかねるほどに大きなもののような気がしたのです。「神様が愛であるなら・・・」。はっつぁんはそう言って立ち上がり、辺りを見渡しました。
冬の木立の美しさ。そこでさえずるかわいい小鳥たち。川辺で毛づくろいをする昨夜の三毛。川に泳ぐ魚たちにカメ、小さな足で一生懸命水をかき、前に進もうとする鴨たち。「神様が愛なら・・・いいな」。そう言うと、大きく深呼吸をしました。かおるは意を決して口に出しました。
「神様が愛だからこそ、イエス様がこの世に生まれたんです」。「どうして神様が愛だからこそイエス様が生まれたんだい?」。かおるは伏目がちに、「この世をほうっておけなかったんです」と言いました。
「なるほど、神様が愛だから、イエス様が助けに来たのか。・・・おじさんもちゃんと聖書ってやつを読んでみるよ」。そう言ってはっつぁんは振り返り、赤い顔をくしゃっと歪ませて笑いました。
「おじさんありがとう」。かおるは立ち上がってお辞儀をしました。「おじさんの言う自然の決まりについても聞かせてくれますか?」。はっつぁんはうんうんとうなずいて、またベンチに腰掛けました。
「人はどうして争い奪い合うんだろうな。競争があるんだろうな。どうして弱者と強者がいるんだろうな。こんなに利口に生まれたのに、平等や愛が実践できない」。「そうですね」。「動物たちだって争うし生存競争はあるさ。でもやつらは生きるために必死なんだ。人間はもっと利口なはずで良心もあるんじゃなかったか?おかしなことだらけで、俺は社会ではうまくやっていけなかったんだ。でもな、ここにいると、花も木も、魚も鴨も鳥たちも猫も、みんな平等なんだ。同じ仲間、そんな気がするんだ。・・・人間とはそんなふうに思えたことがなかったから・・・昔っから自然が好きでね。花や風は励ましてくれる。つらい時も優しく吹いたり、かわいらしく咲いてくれたり。おてんとうさまもそうだ。いつも励ましてくれる。晴れた日に遠くに見える山も、とても近しく感じるんだ。・・・でも人間だけはだめだ。なんでだろうな。見栄を張り合わなきゃならんかったり、偉くもないのにがみがみと言われたり、嫌なことばっかりだった」
かおるはうつむいて、「そうですか」と言いました。「かおるちゃんは不思議な子だな。猫みたいだ」。「猫?」。かおるは目を丸めました。「そうそう。猫みたいに・・・何を話しても怖くない」。「猫ですか?」。2人の笑い声がこだましました。
その日かおるが帰ってから、はっつぁんは聖書を開きました。「聖書を読んだら、またあの子と話せるかもしれない」。そんな気持ちが、はっつぁんに聖書を開かせました。
かおるはアルバイトに行った帰り、市内の実家に立ち寄りました。はっつぁんと話をしたことを思い出しながら、久しぶりの家路を歩きました。家には明かりがお風呂場だけに灯っており、父はお風呂に入っているようでした。それ以外に明かりの灯っていない我が家がとても寒々しく、悲しいものに思われました。
かおるは合鍵で扉を開けると、ひんやりと冷え切った家の中に入りました。そしてお風呂のドア越しに、「荷物、取りに来たから」と、父に話しかけました。
「そうか」。お風呂場から伝わるのは、なんとも寂しげな気配です。「ちゃんと栄養とって部屋もあったかくしてね」。そう言い残すと、かおるは居間へ行き、散らかった部屋を見渡しました。鍋には冷めた煮物があります。ご飯はちゃんと作っているようでした。
父は不器用な人でした。大切なものを大切にできず、小さな怒りを爆発するまで膨らませ、抑えることができないのです。それを本人もよく分かっているようで、爆発した後は、なんとも寂しそうな後ろ姿で、またお酒をあおるのです。自分でもどうしようもないものにとらわれているかのようでした。
それでも根は悪い人ではなく、不器用ながらも優しくしようと懸命な時もあります。そんな父をかおるは割り切れる心で捉えることができませんでした。ただ、悲しさと怒りが混在して、自分でもどうしようもないのです。
かおるは冬用のコートを押し入れから引き出すと、それをビニールバックに詰めて、廊下を伝ってまた風呂場の前に行き、「じゃあ帰るね」と言いました。「気を付けて行きなさい」。寂しげな声が響きました。
かおるは涙を抑えきれず、走り出すように玄関を出ました。愛してやまない思いと、もう傷つけられたくない思いがこみ上げます。殴られた悲しみがよみがえり、引き裂かれそうな怒りに震えます。
その時、「父と母を敬いなさい」、そうイエス様の声が聞こえたような気がしました。「イエス様、どうしてですか?」。かおるは聞きました。
するとイエス様のお心が、かおるの心に触れたような気がしました。イエス様の心は、熱く火照っているようでした。その熱は、かおるに伝えました。「あなたを愛しているからだ」。その言葉は、イエス様の血のように熱い響きを持っていました。
「愛しているのになぜ?」。かおるは泣きじゃくって途方に暮れ、地面に座り込みました。目を上げると街灯が夜空に滲んで、七色に光り輝いておりました。かおるは胸の裂かれるような悲しみと、不思議な満たしを感じました。頬を伝う涙が、まるでイエス様の涙のように感じたのです。
しゃくりあげて声に出しました。「イエス様の涙は、熱いね」
父親は一人でお酒をあおっていました。こうなったのは自分のせいであることは、なんとなく分かっています。それでも、「あいつが悪いんだ」と口にして、もう一口もう一口、お酒を喉に流します。
「あのバカが」。そう言う父親はとても寂しげで、十畳ほどの居間は百畳もあるように、ぽつんとして見えました。
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、友人の導きにより、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。現在、県内の障がい者施設で働きながら、加須市の東埼玉バプテスト教会に通い、2018年4月1日イースターに木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。