社会保障制度への過度の期待
「ゆりかごから墓場まで」という言葉で形容される社会保障制度は、第二次大戦後に欧州から導入され、今では多くの仕組みに発展し、私たちの生活にとって必要不可欠なものになっている。
これらの仕組みは大変ありがたいものだが、本来、社会保障制度とは、個人の責任や努力だけでは対応できないリスクに対し、互いに連帯して支え合い、それでもなお困窮する場合に必要になる制度のはずだった。
ところが、現代社会ではこの「互いに連帯して支え合う」部分が著しく希薄になったため、社会保障制度への期待が過度に集まり、人材、財源ともに不足する事態が起こってきている。
医療、看護、介護などの社会保障を担う多くのサービスは、互いに寄り添い、支え合う社会があってこそ有効に機能する。高齢化、核家族化が進む中、寄り添う人材がいないこと、またそれを補う抜本的な手段が見いだせていないことが、社会保障制度の課題をより顕著にしているのだろう。
崩れる縦社会共同体
かつては、「家」の中に世代を超えた人材がいて、互いに寄り添って生きていた。「家」と「家」は、同じ「地域」にあることで連帯も容易だった。人々は「家」や「地域」に所属し、その中にある人間関係がお互いを支えているのが普通の日本社会だった。
日本独自の縦社会共同体が崩れる中、それを食い止めることはもはや困難になっている。むしろ新しい仕組みが求められ、それぞれの地域でさまざまな地域連携の提案が見られるようになってきた。
話し相手・付き添いサービス
寄り添うことだけを提供する「話し相手・付き添いサービス」は、私たちが4年前に始めた頃には他であまり見られなかった。しかし、介護保険事業だけでは応えられない社会の必要に対し、地域の福祉行政の総合事業の一環としても同類のサービスが最近増える傾向にある。
この働きは、医療、看護、介助、家事手伝いといった具体的サービスの形はなく、ただ寄り添うことをうたっているため、一般に理解されるには時間を要する。しかし、本来「家」や「地域」が担っていた「互いに連帯して支え合う」部分を補える可能性があり、注目に値する。
また、寄り添うことは本来、牧師や教会の有志が日常的に地域に対して実施していることであり、今後、事業性を持たせることにより、教会の働きとしてより効果的に展開できる可能性がある。
一人に寄り添うことが多くの人の救いになる
かつて、ご近所にお住まいの高齢の男性に寄り添って病院に同行したことがあった。近所付き合いの親切心から寄り添っただけのことだった。しかしその後、この男性の体調が急激に悪化し、自宅で最期を迎えたいと願われたとき、自宅の環境を整える人材が高齢の奥様以外に家族の中にはいなかった。
在宅で診てくれる医師、訪問看護師、ヘルパー、家政婦、ボランティアなどを探すことは、つてのない人にとっては大変である。しかも、それらの働きを有効に配置し、弱っていく高齢者を24時間支え、最期まで看取るのは、核家族の進んだ現代社会では大変難しいことになる。
幸い、私たちの会社のことを知ったご家族が「仕事で寄り添ってください」と申し出てくださり、祈りつつ「話し相手・付き添いサービス」を用いてご自宅に通うことになった。有料サービスの仕組みがうまく用いられたのだ。
退院から召されるまで、わずか12日間だけだった。しかし、弱っていく男性のお部屋が、天国の扉が開いているような空間になっていった。信仰者が祈りながら寄り添うことの大切さを思い知らされる時になったのである。
弱さの中に神様は完全に現れてくださり、手を取って祈るとき、ご家族はもちろん、未信者の看護師、ヘルパー、家政婦、ボランティアの皆さんも一緒に心を合わせてくださった。ご家族は信仰を持たれ、そのお部屋で洗礼式が行われた。
男性が召された後、このご家族とはもう何年もお付き合いが続き、「話し相手・付き添いサービス」を用いて残された奥様への定期的な訪問が継続している。もちろん、召されたご主人の葬儀、納骨式、毎年の記念会には常に関わらせていただいている。
ゆりかごから墓場まで寄り添う
上記のような例は、弱さを担う方に寄り添うことによって頻繁に生じてくる。日本人への宣教の扉は、既に大きく開いているようにさえ感じる。そして、「ゆりかごから墓場まで」寄り添えるのは、実は天地を創造された神様を信じる信仰者だけだと強く実感するようになってきた。
私たちは、教会でよく伝道集会、コンサート、クリスマス会、子ども集会、カフェなどを宣教目的に行う。教会で高齢者の介護や看護の事業を行っているところもある。それぞれが地域に寄り添う尊い働きである。今後も続けてもらいたいものだ。
しかし、最も効果的な方法は、ただ、弱さを抱える人のもとに出向き、寄り添うことにある。そして、そのことを現代社会は教会に求めていることに気付いていただきたい。一人の信仰者が弱さを担う人に寄り添うことで、その人だけでなく家族を救うことになる。
そして、すべての社会保障制度や事業者を巻き込み、まさに「ゆりかごから墓場まで」寄り添い続ける道が開かれるのである。宣教の働きは、主の足跡に従う実にダイナミックな働きになる。
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