歌を歌わないで生きてきましたが、教会ではいつも賛美歌を歌います。最初の頃は黙って口だけ動かし、歌詞だけを口ずさんでいました。有名な賛美歌「いつくしみ深き 友なるイエスは・・・」を聞いたとき、イエス様が共にいる恵みを知りました。海岸を歩きながら、音程は外れていましたが、心から歌いました。それは今でも変わりません。下手でも音程がおかしくても、神に向かって賛美するとき、天使たちの歌声となって、天国で奏でられるのです。朝ごとに賛美の声を上げることができるのです。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎(とが)を赦(ゆる)し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖(あがな)い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲(わし)のように、新しくなる。(詩篇103:1〜5)
イエス・キリストを信じるとき、すべての罪が赦されます。「雪のように白く」との願いが実現し、キリストの血によって雪よりも白く洗われました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(1ペテロ2:24)
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(2コリント5:21)
ケニアに毎年出掛けます。最初の年でした。山の中でパジェロが止まりました。現地の牧師が降り、降りろと言うので、急いで下車しました。何もない道路でしたが、ちょうど赤道を越えたということでした。何も感じないし感動もなかったのですが、赤道を越えたというのは事実だったのです。
信じても何も感じないという人もいます。しかし、イエス・キリストを信じれば救われたという事実に変わりはありません。聖書の言葉がその保証です。
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」(ローマ10:9〜11)
神の前に義とされ、神の子とされ、永遠のいのちを与えられ、天国に行く保証が与えられたのです。信じる者への約束は、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)です。家族そろって救いの喜びを体験できるのです。
十字架は罪の身代わりだけでなく、病や患いも取り去る祝福です。
彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。(マタイ8:17)
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(1ペテロ2:24)
心の悩みだけでなく、体の病も十字架によって癒やされます。聖書には癒やしの約束が多く書かれています。世界保健機関(WHO)は、人間の健康を「身体的健康」「精神的健康」「社会的健康」の3つに分けて定義しています。人間が基本的に求めているのは、この3つが満たされることです。しかし、この3つが満たされたから幸せになれるものではありません。WHOもそれに気付き、「霊的健康」という概念についても検討したことがあります。こうした健康の定義を完全に満たすことは、人間には不可能ですが、イエス・キリストを信じるときに可能になります。
愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(3ヨハネ2)
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(1テサロニケ5:23〜24)
イエス・キリストの癒やしを受けて健やかに生きてください。(続く)
※ 本コラムは、小冊子「雪よりも白く」から転載・編集したものです。クリスチャントゥデイをご覧になり小冊子をご希望される方には、1人1冊を無料でプレゼントします。申し込みは、榮義之(メール:[email protected])まで。
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