教会に行けばいつも歓迎してもらえました。高校生の男子が1人だったこともあって、大事にされました。しばらく通っていたある礼拝の後で、宣教師が1枚の紙に漢字を書いて、この字が読めますかと尋ねました。どう見ても漢字には見えなかったのですが、よく見ると罪という字をイラスト風に書いているようでした。
「罪ですか」と答えると、「ハーイ。よく読めました。あなたにそっくりでしょう。あなたは罪人ですよ。分かりますか」と言われたのです。多分、片言の日本語でいろいろ話してくれたと思うのですが、頭の中が真っ白になって腹が立ってきました。教会に来ているのに、何が罪人なものか、失礼な人だ、もう教会には来ないぞ、と決心して帰宅しました。
小学校5年生の時から、白い心になりたいという願いがありました。種子島の向こうには屋久島があります。種子島は平たんな島で、高い所で220メートルくらいです。一方、屋久島は九州一高い宮之浦岳があり、山頂には初夏まで雪が残っています。その雪を眺めるたびに、あのようなきれいな心になりたいと願い、できるだけ悪口も言わず、悪いこともしないように、自分の名前に恥じないように生きてきたつもりでした。
榮義之の意味を、この義(自分の正しさ)で栄えると誇りにしていました。だからキリスト教会にも行き始めたのです。神が愛してくれるのは、自分が正しいから、正直に生きてきたから、真面目だから。だから自分は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われたのだと思っていました。やっと願いがかなったと思っていたのに、教会で罪人だと言われ、もう二度と行かないと心に決めたのです。
人間には罪がある、心が汚れているというのはよく分かりました。しかし自分は違うと、人と比較して、自分を義としようとしていたことに気付きました。そうするともっと惨めな気持ちになりました。
キリスト教会に行っているから、真面目で正しいんだと思っていたのに、「あなたは罪人ですよ」と言われた。宣教師はきっと私が心の中で考えていることが分かったんだろう。思春期だし、Hな小説も読むし、変なことも考える。きっと全部見られているんだ。だから罪人と言われ、もうあなたのような罪人は教会に来なくていいんですよ、と宣告されたと思ってしまいました。
それでも教会の礼拝への誘いはあるし、行ったり行かなかったりが続きました。(続く)
※ 本コラムは、小冊子「雪よりも白く」から転載・編集したものです。クリスチャントゥデイをご覧になり小冊子をご希望される方には、1人1冊を無料でプレゼントします。申し込みは、榮義之(メール:[email protected])まで。
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